比翼鳥:中国神話中の翼が一本と目が一つしかない鳥だが二羽集まると飛べるようになる神秘的な鳥

比翼鳥(ひよくどり bi3yi4niao3 ビーイィニャオ)

比翼鳥は別名鶼鶼や蛮蛮とも言い、中国古代伝説中の鳥名です。この鳥は一つの目に一つの翼しかなく、雄雌が一緒にならないと飛べません。このため古くから夫婦の情や無二の親友などに例えられてきました。

《山海経・海外南経》には、”比翼鳥は滅蒙鳥の東面におり、青色と紅色が入り混じった羽毛を持つ鳥で、二羽の鳥が翼を合わせることで飛翔できる。別の言い方をすると、比翼鳥は南山の東面にいる。羽民国は滅蒙鳥の東南にあり、そこの人は皆頭部が非常に長く、全身に羽毛が生えている。別の言い方をすると、羽民国は比翼鳥の東南面にあり、そこに住む人々は皆両頬が非常に長い。”とあります。

海外南経の翻訳に関しては以下をご覧ください!

山海経を読もう!No,6 海外経海外南経編

もう一つ、《山海経・五蔵山経西山経》には比翼鳥の別名であり崇吾山という山に住んでいる蛮蛮について以下のようにな記述がみられています。”山中には禽鳥がおり、形状は一般的な野鴨のようであるが、羽が一つしかなく目も一つしかなかった。このため、二羽が合わさることで初めて飛ぶことができた。名を蛮蛮と言い、一たび出現すると天下に水害が発生したと言う。”

五蔵山経西山経の翻訳に関しては以下をご覧ください!

山海経を読もう!No,2 五蔵山経西山経編

海外南経に比べ西山経の記述の方がより具体的ですが、どちらも二羽が合わさって飛ぶことができると書かれています。西山経にはさらに出現すると水害が発生するという恐ろしい鳥であるという記述も見られていますので、非常に神秘的な鳥です。




さらに詳細な比翼鳥の形状はと言いますと、《尔雅・釈地》には、”南方に比翼鳥がおり、並ばなければ飛べず名を鶼鶼と言った。”とあります。この一文に対して郭璞は、”鳬(マガモ)に似ており青赤色である。”と注釈を書いています。つまり、比翼鳥の色は青の中に赤色を帯びており野鴨のような見た目であるが、羽と目は一つずつしかないため、必然的に二羽が並び協力しないと飛ぶことができません。

  • 比翼鳥の故事:不到黄河心不死(黄河にたどり着くまで死なない)の語源

遥か昔、黄河のほとりに小さな村がありました。その村に柳生という子供がいましたが家庭は困窮しており毎日家の手伝いをしなければなりませんでした。そんな柳生の楽しみは仕事が終わってから家の裏にある深い森の中に入っていき、いろんな鳥の鳴き声を聞くことでした。柳生は次第に様々な鳥の鳴き声を覚え聞き分けることができるようになっていきました。さらに時が経つと今度は鳴き声を真似できるようになり、その鳴き声は実際の鳥の鳴き声と区別がつかないほどで、鳥たちは柳生の鳴き声と共に歌うようになりました。

一年が過ぎ、また一年が過ぎると柳生は成長し、十六歳になりました。このとき、柳生の唯一の肉親である母親は過労が蓄積した為に重い病にかかり床に臥せってしまいました。しかし、薬を買うお金が無かったため、柳生はお金を稼ぐために隣村の有力者である黄家の花園へ仕事へ行きました。

黄家には黄鶯という若くて美しい娘がいました。彼女は各種の小鳥を飼うことが好きで、カナリアの鳴き声を聞くのが一番好きでした。

柳生は花園の中で草花の散れをしているときにいつも小鳥たちの鳴き声を聞いていました。しかし、その鳥たちがどこにいるかわからなかったので好奇心から鳥を探してみました。すると、百鳥に囲まれた中に美しい少女がおり、カナリアの歌声を聞いていました。そのカナリアの歌声はそれは美しいものでした。そして柳生はその歌声を聞く黄鶯の美しさに心を奪われてしまいました。しかし、黄鶯とは身分が違います。柳生はすぐに己の立場を悟り叶わぬ夢に思いを押し殺し、ただ夜に落ち眠りについた時だけ夢の中で思いを遂げることが出来ました。

二年が経ち、母親の死を除いたすべての時間を黄家の花園で働きました。しかし、柳生は黄鶯の笑顔が見ることで心が満たされ苦痛には感じませんでした。柳生の望みは自分の世話をした花園で美しい花が咲き乱れるさまを見て黄鶯に喜んでもらうことでした。自分の存在が黄鶯に知られなくても彼女が喜ぶだけで幸せでした。黄鶯は柳生の思いをよそにカナリアに夢中でした。しかし、最愛のカナリアにも寿命が訪れ、黄鶯の必死の介抱もむなしく死んでしまいました。

最愛のカナリアが死んでしまい、黄鶯は食事も喉を通らずに天を仰いで涙を流していました。父親は不憫に思い別のカナリアを買い与えましたが黄鶯の心の傷は癒えませんでした。見かねた柳生は以前に森の中で学んだ鳥の鳴き声で黄鶯ののカナリアの声を真似てみましたが上手く行きませんでした。しかし、幾度となく練習を重ねることでついにあのカナリアにそっくりの鳴き声を出すことができるようになりました。

柳生は少女の部屋の下へ行き、花壇の中に身を隠し、ゆっくりとカナリアの鳴き真似を始めました。黄鶯はよく知っている歌声が聞こえてくると嬉しくなり静かに耳を傾けました。しばらくすると黄鶯はもしかすると以前飼っていたカナリアが生き返ったのではないかと思い、いてもたってもいられなくなり外へ出てカナリアを探しました。

柳生は鳴き声を続けましたが、毎夜思い続けていた少女がまさに自分の背後に近づいているとは夢にも思いませんでした。そして、その少女が突然現れるとあまりの驚きに声が出ず、逃げようにも足がすくんで動けなくなってしまいました。

当の少女は胸を高鳴らせて探したカナリアの歌声がまさかこの少年から出ているとは夢にも思っておらず、大変失望しました。しかし、すぐに好奇心が沸き起こり、時分も鳥の鳴きまねをしてみたいと思い柳生に教えてくれるように頼みました。柳生にとっては願ってもいないことで、黄鶯に精一杯教えました。しかし、鳥の鳴きまねは難しく、一朝一夕ではできません。そのため、黄鶯は鳥の鳴きまねを学ぶことをあきらめ、その代わり柳生の何百もの様々な鳥の鳴き声に耳を傾けるようになりました。柳生の鳴きまねは鳥と会話しているが如く、多くの鳥が近寄ってきて一緒に鳴き始めました。その姿が少女には眩しく見え、やがて二人は愛し合うようになりました。




しかし、この幸せも長くは続きませんでした。黄家の主がこのことを耳にするや否や激怒して人手を集めて柳生を半死半生になるまで打ちのめした後、黄河のほとりへ運んでそのまま打ち捨ててしまいました。

これを知った黄鶯はあまりの悲しみに大量に吐血して死んでしまいました。この時人々は一羽の美しいが羽が一本しかない小鳥が少女のみぞおちから跳び出てきたのを見ました。その鳥は鳴くことができず、右側の羽しかなかったため飛べずに黄河の方へ走り去りました。その奇怪な様子に周りにいた一同はその鳥の後をついて行きました。その鳥は飛べませんでしたが走る速度は非常に早く黄河の柳生まで一気に走っていきました。黄河の柳生までたどり着くと、その鳥の両眼はすでに閉じられており打ち捨てられた柳生のそばに横たわっていました。

その時、黄河の柳生のみぞおちから一羽の美しい小鳥が跳び出てきました。しかし、この鳥も羽が一本しかなくしかも左の羽しかありませんでした。するとすでに息絶えていた右羽の鳥も起き上がり、一緒になり天空へ向かって飛び立ったのです。この鳥の鳴き声は美しく澄み渡り、誰もがその声に心を引き寄せられました。

以降、人々は美しく歌える鳥は柳生の生まれ変わりであり、美しく歌えない鳥は黄鶯の生まれ変わりである、と言いました。両人の相愛は死後に鳥になることで成就しました。人々はこの鳥を比翼鳥と名付けました。

  • 史記封禅書に出てくる比翼鳥

比翼鳥は司馬遷の史記、封禅書にも出てきます。斉の桓公が封禅を行おうとして宰相の管仲に相談した時のことです。管仲は猛反対して、封禅を行う条件として、東海から比目魚が送られ、西海から比翼鳥が送られて来て、その後に15の吉祥物が自然と現れた後に封禅を実施できると言いました。

春秋戦国時代においては比翼鳥の出現は封禅を行うための条件となっていました。

出典:baidu

比翼鳥の故事ですが、何とも悲しい物語です。この故事より不到黄河心不死は黄河までたどり着かないうちは死ぬことができない、という意味となりますが、元々の言葉では黄河は烏江と言い、不到烏江心不死と書きました。烏江は項羽が自分で自分の首を刎ねたと言われている場所です。不到烏江心不死の初出は不到黄河心不死よりも早く明代の《初刻拍案惊奇》巻十五ですので、時代とともに烏江は黄河に置き換わっていき、いつしか比翼鳥の故事と結びついて行ったように考えられます。

比翼鳥の形状を考えると右タイプの比翼鳥と左タイプの比翼鳥がいることが予想されます。右タイプと左タイプの比翼鳥同士が集まると飛べることはなんとなく想像できますが右タイプ同士では翼が左右対称にならずに飛べない気がします…。

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