屈原の天問を読もう!この疑問が解ればあなたも中国神話上級者!!

屈原の楚辞、天問を翻訳してみました。

楚を追われた屈原が様々な人たちと様々な事柄について書いたのが楚辞です。楚を追われたと言っても屈原の楚に対する愛国心は非常に強かったと言います。楚辞には様々な篇がありますが、この篇の中でも神話や伝説上の疑問点を書き出したのが天問です。

屈原は尊敬を集めていた人物であり、端午の節句でちまきを食べることやドラゴンボートレースも実はこの屈原に由来して代々行われている中国の文化的行事です。

屈原先生の仰る通り中国神話に関しての現実に即した鋭いご指摘の数々です。一方で、思っていることを書き連ねているだけですので疑問の対象が何なのかわからない場合も多々あります。このため各文の最後に解釈を加えています。また、話の出典となる神話など貼ってあるリンク先をご覧ください。




かなり考えましたが、それでもさっぱりわからない難解な文が多く不明点が多かったです(´;ω;`)

屈原の生きた漢以前は神話は統一されておらずそれぞれの国や部族によって異なる解釈があります。

まずは史記の夏本紀など以下の記事を読んでおくと少しは理解できるかと思います。また、固有名詞はサイト内を検索すると記事があるかもしれません。

史記を読もう!夏本紀を翻訳してみた。

女媧:中国神話における創造神で人を始めとして様々な動物を作り出した女神

王亥:商国の始祖でもあり、商人の祖でもある人物

商湯:夏王朝を滅ぼして商王朝(殷)を建国した商王朝初代の帝

天問

1、問う:古代にこの世が開かれたとき、誰が伝え後代に引き継いだのか?(天地創造の話)

2、天地が未形成の前の状態は、一体どこで作られたのか?(天地創造の話。女媧の創世神話か盤古の創世神話か不明。混沌から天地を分けたと言うイメージで盤古っぽい感じがします。一方で女媧系の神話は南方の三苗族に由来するとも言われておりますので、南方の国である楚国では女媧の事を言っている気がします。)

3、明暗が分かれていない混沌一片なのに、誰がその原因を突き止め得ることが出来たのか?(天地創造の話)

4、大気は霞のようで形状はないのに、何を根拠にはっきりと識別できたのか?(天地創造の話)

5、白天は光明夜晚は黒暗とあるが、結局のところどのような状態なのか?(天地創造の話)

6、陰陽は集まり万物を産んだというが、本質的には何が変化したのか?(天地創造の話)

7、伝説によれば青天は広大で九重あるとされるが、誰が現場に行って計測したのか?(天地創造の話)

8、規模が巨大な工程のようであるが、誰が建造を開始したのか?(原典不明)

9、この途方もない軸縄系(物理でいう糸に吊るした重りの系)はどこにあり、そして天極をのばし続けるとどこに到達するのか?(女媧補天の話?)

10、八つあるという天の柱はどこにあるのか?大地はなぜ東南が低く陥没しているのか?(現代では中国の西方は山岳地帯の高地ですので水は西から東の海へと流れることが分かっています。)

11、天の中央と八方四面は結局のところどこで互いに支え合っているのか?(天柱を含めた天と地の構造の事を言っています。)

12、辺ごとに相交わる角が多いが、誰が周の全てを調べることが出来たのか?(天地の構造)

13、天はどこで地と交わっているのか?十二区域はどのように分けられるのか?(天地の構造)

14、日月天体はどのように連なっているのか?衆星列陳とは結局何?(天地の構造)

15、太陽は早朝に湯谷から出てくるが、晩には蒙汜にいる。(太陽の運行の話。太陽は東の湯谷にある扶桑樹から飛び立ち、西の蒙汜に降りるとされています。)

16、夜明けから日暮れまで、一体太陽は何里走っているのか?(太陽の運行の話)

17、月に何の徳行があって事もあろうに死を与え更に生き返らせるのか?(不明。玉兎の事?)

18、月に対して何のいい処があるのか、そして玉兎はその腹の中にいるのか?(月の玉兎の事を言っていると思います。)

19、女神女岐は夫がいなかったが、なぜ十人の子供が産めたのか?(女神女岐の話)

20、伯強の神はどこに居るのか?天地と気もまたどこにあるのか?(伯彊や禺強とも言い、古代の風神の事です。)

21、どの門を閉めれば天が暗くなり、その門を開けると天が明るくなるのか?(天の門の事)

22、東方の角宿がまだ光を放たないとき、太陽はどこに隠れているのか?(原典不明)

23、もし鯀が治水を行う能力が無ければ、衆人はなぜ鯀を推挙したのか?(五帝本紀にもある鯀の治水の話)




24、皆、心配ないと言ったけれども、なぜ彼に試させなかったのか?(五帝本紀にもある鯀の事)

25、太陽の運行は鴟亀にもたれ掛かり或いは曳き或いは銜えているが、鯀にどんな神聖徳行があるのか?(鯀の事)

26、川谷を治めすぐに大功を為したのに、堯帝はなぜ彼を刑に処したのか?(四罪として断罪された鯀の事)

27、長い期間鯀を羽山に閉じ込めたのに、なぜ三年経っても彼を開放しなかったのか?(四罪として断罪された鯀の事)

28、大禹は鯀の腹の中から生まれたというが、治水の方法はどう変化したのか?(現在では鯀の方法は土塁を築く方法で禹の方法は溢れた水を流す水路を築く方法であったとされています。)

29、前人の未完の事業を継承し、遂には父の意志を継ぎ完成させた。(禹のこと)

30、何故前人の遺志を受け継いだのに、用いた工法は同じではないのか?(父親の治水法と禹の治水法の違い。土塁を作るか疎水路を作るかの違い。)

31、洪水は底が見えないほど深かったというが、どのようにしてそれを埋めたのか?(黄河の大洪水の話。最近の調査で4000年ほど前に実際に発生したという研究結果が出ています。)

32、土地の肥痩は九等に分けられたというが、どのような基準で分けたのか?(治水後の土地を九等に分けた話は史記の夏本紀にも書かれています。)

33、応龍は尾でどのようにして地面を掃いたのか?河海はどのように流れやすくなったのか?(応龍が禹の治水を手伝った話。応龍は尾で疎水路を作りました。)

34、鯀はどのような方法を行ったのか?禹は鯀のどの方法を使ったのか?(鯀は禹の父親で治水を行っていました。禹はその子供ですので父親の治水法を引き継いだと思われます。一方で、鯀の治水はひたすら土嚢を積み上げる方法で、一方で禹の治水は疎水路を作り、流れの悪い部分の水を疎水路に流してしまう方法とされています。)

35、共工が激怒し、東南の大地はなぜ傾いたのか?(共工が天柱を折ったときに天が傾いたのは想像できますが、なぜ大地も傾いたのかが疑問。)

36、九州の大地はどのように取り付けられていたのか?河は山谷を流れどのように川底の泥を浚ったのか?(治水の話)

37、水が東海に流れ込んでも溢れなかったが、誰がこの原因を知っているのか?(治水の話)

38、東西南北四方の土地はどの辺がより長く、どの辺がより多いのか?(大地の構造)

39、南北は狭く長い地勢を形成したというが、長い地方はどれくらいあるのか?(大地の構造)

40、崑崙山上にある玄圃仙境であるが、その住まいとはどこなのか?(神々が住まう伝説の崑崙山の話)

41、山中にはさらに九重の城があるが、その高度は何里なのか?(神々が住まう伝説の崑崙山の話)

42、崑崙山の四面の門戸はどんな人物がそこから出入りするのか?(神々が住まう伝説の崑崙山の話)

43、西北両面の大門が開け放たれているが、どんな気息がそこを通じるのか?(神々が住まう伝説の崑崙山の話)

44、太陽の光が照らさない所がどうしてあり、なぜ燭龍はその神光で照らす必要があるのか?(伝説の燭龍の話)

45、羲和の神車まだ出発していないのに、若木の花はなぜ光芒を放つのか?(羲和は太陽を載せた神車を御していると言われています。)

46、どの地方の冬が常に温かいのか?どの地方の夏が常に寒いのか?(原典不明)

47、どの地方に岩石の林があるのか?どの野獣が人間の言葉を話せるのか?(原典不明。山海経などに記載されている話で、この時代にはまだまだ不思議な生物が生きていたとされています。)

48、角のない虬龍は何処に居り、熊羆を背負いゆったりと遊楽しているのか?(原典不明)

49、雄の虺蛇の九つの頭蓋骨は即座に生えてきたというがそれは一体どこなのか?(原典不明)

50、不死の国とはどこで探せるのか?長寿の人は何の神術を持っているのか?(山海経に記述のある国々です。)

51、萍草は蔓延し葉は九つに分かれるが、枲麻は成長してどこに花を咲かせるのか?(原典不明。神異経にある内容に似ています。)

52、一条の長蛇は大象を飲み込むが、その身体はどれほど大きいのか?(洞庭湖に住む修蛇の事を言っていると思われます。)

53、黒水の地、玄趾の民、さらに三危の都はどこにあるのか?(三危は四罪の三苗が流された地方の事?黒水、玄趾は不明)

54、延年益寿の不死と言うが、生命はいつ終わるのか?(不老長寿などの言葉に対する屈原の素朴な疑問?)

55、奇形の鯪魚はどこで生まれたのか?怪鳥鬿堆はどこで育ったのか?(原典不明)

56、后羿はどのように九つの太陽を射落としたのか?太陽の中の鳥はどのように解体したのか?(羿が太陽を射落とした時の話と、その時太陽の中にいた三足鳥の話です。)

57、大禹は尽力してその聖功を為し、降臨して天下四方を視察した。(禹の治水成功の話)

58、どこで涂山の女を得て、その女は台桑で妊娠したのか?(禹の話)




59、涂山の女が妊娠し、子供が誕生し後継者を得た。(禹の話)

60、なぜ一般の人間と同じように欲を持ち、一夜の関係を持ったのか?(禹の話)

61、啓の代の伯益は国君と為し、遂には禍にあった。(禹の後継者で夏王朝二代目である夏啓の話)

62、何故啓は困難な状況に陥り、拘束されてしまったのに逃げ出すことが出来たのか?(夏啓の話)

63、皆勤勉で国に尽くしたのに、彼自身を損なわない。(原典不明)

64、何故伯益の天子の在位が終わり、禹の後代の子孫が繁栄したのか?

65、夏啓が急遽天帝に謁見し、《九辯》、《九歌》の楽曲を得た。(夏啓の伝説)

66、何故賢子は母の命を傷つけたのに、彼女に命じて身体を斬らせ遺体で満たしたのか?(原典不明)

67、帝は夷羿を遣わし、夏政を改革し夏民を害した。(太陽を射た后羿ではなく夏王朝時代の夷羿の話)

68、何故河伯を矢で射って、河伯の妻である洛嬪を奪い取ったのか?(河伯と后羿の伝説)

69、宝弓珧弧を持ち翡翠製の指輪をはめて巨大な野猪を狩り追いかけた。(封豨を狩った時の后羿の話ですが、后羿と夷羿がごちゃ混ぜになっている印象です。現在では両者は別人だと認識されています。)

70、何故羿はその肥えた肉を蒸して献上したのか、その時の天帝の心中はそれほど良くないのではないか?(怪物封豨の肉を蒸して帝堯に献上したこと)

71、寒浞は羿の妃であった純狐氏の女を娶り、また混乱して彼女と共謀して羿を謀殺した。(夏王朝の羿が殺されたときの話)

72、なぜ羿は七層の皮革を着て射ることが出来たのか、反対に羿の妻と寒浞に力を合わせて殺されたのか?(夏王朝の羿の話)

73、道は険しかったのに西へ行き、山岩が幾重にも重なっていたのになぜ越えられたのか?(原典不明)

74、鯀は身体が黄熊となってしまったのに、巫術師は如何に鯀を復活させたのか?(禹の父親である鯀の話。鯀は治水で功績を挙げられなかったために四罪として誅殺されたと言います。)

75、地上にはすでに黒泰の種がまかれ、芦葦水灘もすでに開墾され穀物が生産されていた。

76、なぜ鯀は四凶と同じように駆逐されたのか、鯀はそれほど極悪であったのか?(治水の失敗で処罰されるのは仕方ないのですが、反乱を起こしたわけでもないので四罪として処刑されるのはやりすぎ。鯀には二つの説があり、まじめにやっていたという説もあります。司馬遷の史記、五帝本紀では怠けものとして書かれています。)

77、嫦娥は虹を開いて衣服としているというが、なぜこのように立派に装うのか?(后羿の妻の話で、月に行ってしまった伝説を持っています。)

78、どこから不死薬を得て、それは長期間保存できないのか?(崑崙山の西王母が后羿の功績をたたえて贈ったと言う伝説もあります。)

79、天の法式には縦があり横があり、陽気が離散すると死んでしまう。

80、大鳥金烏は非常に大きかったのに、なぜ身体を解体され命を失ったのか?(后羿が太陽を射たときに、その太陽の中にいた三本足の鳥の事)

81、雨師萍翳は雨を呼び降らせたと言うが、どのようにして雨の勢いを増したのか?(雨の神様である雨師の話です。風伯と共に黄帝と蚩尤との戦いである涿鹿の戦い(たくろくのたたかい)に参加したと言われています。)

82、大人しく従順な性質があるのに、鹿の胴体をしている風神はどのように呼応したのか?(風伯の話です。恐らくなぜ涿鹿の戦いに参加したのかを問うていると思われます。風伯は鹿の胴体で孔雀の頭に一本の角を持ち、豹に似た柄があったと言われています。)

83、巨大な鼈が神山を背負うと四肢が揺れ動くが、神山はどのように安置され動かないようになっているのか?(蓬莱山など、巨大な鼈が背負って支えているという伝説があります。)

84、龍伯巨人は船を捨てて陸を歩いたが、どのように霊亀を大海から離れて釣ったのか?(龍伯国に住む巨人がすっぽんを釣り甲羅を卜占に使用したという伝説です。)

85、澆が兄嫁の門の前に来た時に、彼女に何を要求したのか?(夏王朝の有窮氏の君主寒浞の子の話です。)

86、何故少康が猟犬を駆り立てているときに、偶然に澆に会いその機会を利用して斬首することが出来たのか?(夏王朝6代目の帝である少康の話です。)

87、女歧は縫い付けた継ぎ接ぎの衣服を借り、また澆と同じ部屋に宿泊した。(夏王朝の澆の話です。)

88、澆の力は強かったにもかかわらず、何故少康は澆の首を斬ったのか?(夏王朝の澆の話です。)

89、少康は部下の整理(行軍?)を計画したのだが、どのように厚遇(甲冑を厚く?)したのか?(夏王朝の澆の話ですが、意味がいまいちわかりません。)

90、斟尋を討伐しその船を転覆させたが、どのような方法を取って勝利したのか?(斟尋は夏王朝時代の国名)

91、夏桀が出兵して蒙山を討伐したが、何を得たのか?(夏桀は夏王朝最後の帝です。)

92、妹喜はどのように暴虐であったのか、商湯はどのように放逐したのか?(妹喜は商王朝の妲己と同じような人物として描かれています。夏桀は女にうつつを抜かし国を滅ぼしました。妲己と妹喜は同じ話のプロットの使い回しだと思われます。)

93、舜は家で非常に仁孝であったが、父親はなぜ舜を独身のままにしておいたのか?(帝舜の話です。父親は何度も舜を殺そうとしました。)

94、堯は舜の父親の瞽瞍に言わずに、どのように二人の娘を妃として舜に嫁がせたのか?(堯と舜の父親の関係が不明です。堯は帝なので一般人の舜の父親は恐ろしい存在ではないはずですが、結婚後も舜への嫌がらせは続きましたが堯の二人の娘は蚊帳の外です。)

95、最初は淫奢萌芽であったが、どのようにその後を予測できたのか?(原典不明)

96、紂王は十層の玉台を建造したが、誰がこの建築物を紂王に言ったのか?(商王朝の紂王の話です。)

97、天命を賜り帝を称して、何の道理で人は敬うのか?(原典不明)

98、女媧には特殊な身体があるが、誰がそのような身体を造ったのか?(創造神女媧の話。人面で蛇の身体をしていたとも言われています。)

99、帝舜は弟に優しかったが、それにもかかわらず弟は舜に危害を加えた。(舜の弟の話で、親子そろって舜を殺そうとしていました。)

100、何故肆に入れて豚や犬と同じようにしたのか?その身は危険ではないのか?(原典不明)

101、呉国は長く存在した、江南山川民衆は身を寄せた。(原典不明)

102、誰がこの原因を知ることが出来たのか、全ての原因は二人の男の子を得たことなのか?(原典不明)

103、飾鵠飾玉の銅鼎で調理し、美食は君王に献上された。(原典不明)

104、何故伊尹の謀略を承認し、湯は桀を討伐して滅亡できたのか?(夏王朝最後の帝である夏桀と商王朝の建国者である商湯の話です。)

105、商湯が四方を巡視し、その時に賢臣伊尹と偶然に出会った。(商湯と伊尹の話です。伊尹には様々な伝説があります。)

106、なぜ桀が鳴条で罰を受け、それで黎民百姓が喜ぶのは異常ではないか?(夏桀の最後の戦いのこと。桀自体は命は助けられたという説があります。夏桀は命を助けられたのに夏桀に虐げられた民が喜ぶのはおかしい、と言っています。)

107、簡狄は瑶台の上に住んでいたが、帝嚳はどのように彼女の意を伝えたのか?(帝嚳と簡狄の話です。)

108、玄鳥は高く飛び聘礼を送り、簡狄はなぜあのように喜んだのか?(帝嚳の息子で商族の祖の契が生まれたときの話です。)

109、王亥は王季の徳を受け継ぎ、父親の善徳を見習った。(商王朝の先祖、王亥の話です。商の人々は商売がうまかったので後に商人と呼ばれるようになりました。この王亥が商人という言葉の語源であるとも言われています。)

110、有易の難に遭遇した時に、王亥は牛羊を奪われただけであったのか?(王亥が有易族に殺されて牛や羊を奪われた話です。山海経にも話が見られています。)

111、王亥が盾を持って舞を舞ったが、なぜ女性を惹きつけたのか?

112、有易の女は豊満であったが、どのようにその体型を保持したのか?

113、有易国の放牧者は、またどこで女性に出会ったのか?

114、王亥は凶器で襲われ和つがいされたのに、女性はなぜ命が助かったのか?

115、王恒は王季の徳を継承したのに、どこで兄の牛を得たのか?

116、何のために有易に恩賞を求めに行き、穏やかに返還できなかったのか?(微妙に意味不明です。)




117、黄昏の時に手がかりをたどり、有易国は安寧を得られなかった。(有易国の人々が誰かの足取りを追ったが捕まえることが出来ずに、そのことが禍根になった?)

118、なぜ衆鳥が木の枝に集い、女性と情事を行ったのか?

119、王亥は錯乱し弟共に淫虐を行い、王亥はこれが原因で殺された。

120、なぜこのように暴虐であったにもかかわらず、その後代は繁栄したのか?(王亥の話)

121、成湯は東を巡り、まっすぐに有莘氏の地へ至った。(商王朝を建国した商湯の話です。)

122、なぜ奴隷の身分の伊尹を求め、さらに再び賢淑な妃を得ることが出来たのか?(商王朝を建国した商湯と伊尹の話です。)

123、水辺の桑の木の上で子供の伊尹を得た。(商湯の臣の伊尹の話です。)

124、有莘国の君主は何のために嫌悪感を持ち、彼を嫁ぐ際の礼品として送ったのか?

125、商湯が囚われた地では重泉が湧いたと言うが、結局商湯は何の大罪を犯したのか?

126、耐え難い恥辱を受けて桀を討伐したというが、誰がこの状況の是非を判断したのか?(商湯が夏桀と戦う前の話です。)

127、諸侯は来朝して盟約を求めたが、なぜ皆その期日を守れたのか?

128、蒼鷹が群を成してた高く飛んだが、誰が鷹たちを集めたのか?

129、武王は紂王に身体を裂かれ斬首され、周公姫は同意をしなかった。(商王朝の滅亡から周王朝の建国までの話です。)

130、なぜ自ら武王のために謀を行い、周朝を建国後にまた嘆息したのか?(商王朝の滅亡から周王朝の建国までの話です。)

131、天は殷商に天下を授けたが、紂王の王位はどのように与えられたのか?

132、正しい行いに背いたというが、その罪は一体何だったのか?(周が商を倒した正当性に関して)

133、諸侯は進んで武器を取ったというが、武王はなぜその諸侯を動員できたのか?(周が商に戦いを挑んだ話)

134、軍隊は敵の両翼を撃破したが、彼はまたなぜその大軍を指揮したのか?(不明)

135、昭王は兵を連れて巡幸にでて、南方の遠地に到って止まった。

136、最後にどんな良い場所を得たといっても、白雉に会うというのは難しいのではないか?

137、穆王は巧みな政策を行っていたのに、なぜ四方を巡行する必要があったのか?

138、彼の足跡は天下に遍くつけられたのに、何をしたかったのか?

139、妖人夫婦は売るために客を呼び込んだが、なぜ彼らは街中で行ったのか?

140、幽王は結局誰に殺されたのか?どこでこの報酬を得たのか?

141、天命は気まぐれで、誰が罰を受け誰が援助するのか?

142、斉の桓公は諸侯を九合し、最終的にはその身は朽ち果てた。(春秋戦国時代の名君、斉の桓公の最後です。)

143、殷商の紂王であるが、誰が彼を狂暴昏乱にしたのか?(現在では妲己だと言われています。)

144、なぜ忠良の補佐を嫌悪し、小人の人を貶めるような話を聞くのが好きなのか?

145、比干はどんな反逆の理由で処刑されたのか?(比干は紂王の叔父で紂王を諫めて処刑されました。)

146、雷開常に媚びへつらっていただけなのに、なぜ爵位や封地を賜ったのか?(雷開は紂王の佞臣です。)

147、なぜ聖人の品徳は同じように書かれているのに、物事の結果は異なるのか?

148、梅伯は刑を受け肉を削がれてしまい、箕子は気が狂ったように見せて世捨て人になった。(梅伯は紂王の臣で、箕子は紂王の叔父にあたります。)

149、后稷は嫡出の長子なのに、帝嚳はなぜ后稷を憎んだのか?(帝嚳と后稷の話。后稷は農業に功績を残したため、穀物の神としての側面もあります。)

150、間もなく氷の上に投げ出されるにもかかわらず、なぜ鳥は彼を翼で覆い暖めたのか?

151、なぜ弓矢と共に育ったのに、農業を善く行い特別な才能を持ったのか?

152、生まれてすぐに上帝を警戒させたのに、なぜその子孫は繁栄したのか?

153、西伯姫昌は年老い、鞭を執って雍州牧伯となった。

154、なぜ武王は社稷を治めさせ、殷国の持っている天命を受けたのか?

155、宝を持って岐山へと隠居したが、いかに百姓を素直に従わせたのか?

156、殷の紂王は妲己に惑わされたが、諫めの言葉は何のためになされたのか?

157、紂王は姫昌の息子を肉醤にして姫昌に与え、西伯姫昌は天に向かって訴えた。

158、なぜ紂王は天罰を受けたのにも関わらず、殷商の命運を救うことが出来なかったのか?

159、太公呂望は肉店にいたのに、姫昌はなぜ彼が賢能の士だと知ることが出来たのか?

160、刀を振るう音が聞こえて、文王はなぜ喜んだのか?

161、武王姫発は紂王を誅し商を滅ぼしたが、なぜふさぎ込み耐えられなかったのか?

162、文王を掲げ開戦を決意したのに、なぜ焦っていたのか?

163、紂王は柴の上に吊るされ焼かれたが、なぜこのような死に方をしたのか?

164、武王はすでに天地をも揺るがしていたのに、何に恐れていたのか?

165、上帝は既に殷に天命を下していたのに、なぜ戒めなかったのか?

166、紂王は既に天下を統治していたのに、なぜまた他に人物に取って代わられたのか?

167、当初伊尹を小臣と見ていたが、その後政治を補佐する宰相となった。

168、商湯の補佐大臣となったのに、なぜ死後に宗廟の祭祀で尊敬を受けたのか?

169、闔閭は功績のあった寿夢であり、少年は離散の苦に遭った。

170、なぜ壮年の歴戦の勇士が、その威厳を遠くまで広げることが出来たのか?

171、彭祖は雉鶏の羹を調理したが、なぜ帝堯は試食するのを喜んだのか?

172、長寿で長生きしたというが、なぜそのように長く生きれたのか?

173、周代の王朝は共に民を治めたが、歴王君主はなぜ怒ったのか?

174、蜂蛾の生命は儚いのに、その力量はなぜ高いのか?

175、惊は婦人の言により再び薇を摘まなかったが。白鹿はなぜ夷斉を庇ったのか?

176、北に行き回水の地に到り、一緒に餓死するのがなぜ嬉しいのか?

177、兄はよく咬む猛犬を飼っていたが、弟が打ったのはどんな意図があったのか?

178、百輌の車を一匹の犬と交換したが、交易は成らずに反対に禄米を失った。

179、夜の時分に雷鳴が轟いたが、帰ろうと思ったがなぜ憂いがあったのか?

180、国家は厳然で再び存在しなかったが、上帝に対してなにを祈求したのか?

181、洞穴の中に身を隠し、さらにどんな話さなければならない事情があったのか?

182、楚は勳に功を求めて兵を興したが、国勢はなぜ長期にわたり存続できたのか?

183、間違いに気づいても正すには遅く後悔したが、私はまた何を述べることが出来るのか?

184、呉王闔閭と楚は国を争い、勝利した。

185、輪になって里社丘陵を通り抜け、なぜ尹子文を生ませたのか?

186、私はかつて賢者堵敖に言い、楚国の衰退は長くはなかった。

187、なぜ君主を殺したのに、忠名は更に大きくなったのか?

原文(簡体字です。)

1、曰:遂古之初,谁传道之?
2、上下未形,何由考之?
3、冥昭瞢暗,谁能极之?
4、冯翼惟象,何以识之?
5、明明暗暗,惟时何为?
6、阴阳三合,何本何化?
7、圜则九重,孰营度之?
8、惟兹何功,孰初作之?
9、斡维焉系,天极焉加?
10、八柱何当,东南何亏?
11、九天之际,安放安属?
12、隅隈多有,谁知其数?
13、天何所沓?十二焉分?
14、日月安属?列星安陈?
15、出自汤谷,次于蒙汜。
16、自明及晦,所行几里?
17、夜光何德,死则又育?
18、厥利维何,而顾菟在腹?
19、女岐无合,夫焉取九子?
20、伯强何处?惠气安在?
21、何阖而晦?何开而明?
22、角宿未旦,曜灵安藏?
23、不任汩鸿,师何以尚之?
24、佥曰“何忧,何不课而行之?”
25、鸱龟曳衔,鲧何听焉?
26、顺欲成功,帝何刑焉?
27、永遏在羽山,夫何三年不施?
28、伯禹愎鲧,夫何以变化?
29、纂就前绪,遂成考功。
30、何续初继业,而厥谋不同?
31、洪泉极深,何以窴之?
32、地方九则,何以坟之?
33、河海应龙?何尽何历?
34、鲧何所营?禹何所成?
35、康回冯怒,墬何故以东南倾?
36、九州安错?川谷何洿?
37、东流不溢,孰知其故?
38、东西南北,其修孰多?
39、南北顺椭,其衍几何?
40、昆仑悬圃,其尻安在?
41、增城九重,其高几里?
42、四方之门,其谁从焉?
43、西北辟启,何气通焉?
44、日安不到?烛龙何照?
45、羲和之未扬,若华何光?
46、何所冬暖?何所夏寒?
47、焉有石林?何兽能言?
48、焉有虬龙,负熊以游?
49、雄虺九首,鯈忽焉在?
50、何所不死?长人何守?
51、靡蓱九衢,枲华安居?
52、灵蛇吞象,厥大何如?
53、黑水玄趾,三危安在?
54、延年不死,寿何所止?
55、鲮鱼何所?鬿堆焉处?
56、羿焉彃日?乌焉解羽?
57、禹之力献功,降省下土四方。
58、焉得彼嵞山女,而通之於台桑?
59、闵妃匹合,厥身是继。
60、胡维嗜不同味,而快鼌饱?
61、启代益作后,卒然离蠥。
62、何启惟忧,而能拘是达?
63、皆归射鞫,而无害厥躬。
64、何后益作革,而禹播降?
65、启棘宾商,《九辨》《九歌》。
66、何勤子屠母,而死分竟地?
67、帝降夷羿,革孽夏民。
68、胡射夫河伯,而妻彼雒嫔?
69、冯珧利决,封豨是射。
70、何献蒸肉之膏,而后帝不若?
71、浞娶纯狐,眩妻爰谋。
72、何羿之射革,而交吞揆之?
73、阻穷西征,岩何越焉?
74、化而为黄熊,巫何活焉?
75、咸播秬黍,莆雚是营。
76、何由并投,而鲧疾修盈?
77、白蜺婴茀,胡为此堂?
78、安得夫良药,不能固臧?
79、天式从横,阳离爰死。
80、大鸟何鸣,夫焉丧厥体?
81、蓱号起雨,何以兴之?
82、撰体协胁,鹿何膺之?
83、鳌戴山抃,何以安之?
84、释舟陵行,何之迁之?
85、惟浇在户,何求于嫂?
86、何少康逐犬,而颠陨厥首?
87、女歧缝裳,而馆同爰止。
88、何颠易厥首,而亲以逢殆?
89、汤谋易旅,何以厚之?
90、覆舟斟寻,何道取之?
91、桀伐蒙山,何所得焉?
92、妺嬉何肆,汤何殛焉?
93、舜闵在家,父何以鳏?
94、尧不姚告,二女何亲?
95、厥萌在初,何所亿焉?
96、璜台十成,谁所极焉?
97、登立为帝,孰道尚之?
98、女娲有体,孰制匠之?
99、舜服厥弟,终然为害。
100、何肆犬豕,而厥身不危败?
101、吴获迄古,南岳是止。
102、孰期去斯,得两男子?
103、缘鹄饰玉,后帝是飨。
104、何承谋夏桀,终以灭丧?
105、帝乃降观,下逢伊挚。
106、何条放致罚,而黎服大说?
107、简狄在台,喾何宜?
108、玄鸟致贻,女何喜?
109、该秉季德,厥父是臧。
110、胡终弊于有扈,牧夫牛羊?
111、干协时舞,何以怀之?
112、平胁曼肤,何以肥之?
113、有扈牧竖,云何而逢?
114、击床先出,其命何从?
115、恒秉季德,焉得夫朴牛?
116、何往营班禄,不但还来?
117、昏微循迹,有狄不宁。
118、何繁鸟萃棘,负子肆情?
119、眩弟并淫,危害厥兄。
120、何变化以作诈,而后嗣逢长?
121、成汤东巡,有莘爰极。
122、何乞彼小臣,而吉妃是得?
123、水滨之木,得彼小子。
124、夫何恶之,媵有莘之妇?
125、汤出重泉,夫何辠尤?
126、不胜心伐帝,夫谁使挑之?
127、会朝争盟,何践吾期?
128、苍鸟群飞,孰使萃之?
129、列击纣躬,叔旦不嘉。
130、何亲揆发足,周之命以咨嗟?
131、授殷天下,其位安施?
132、反成乃亡,其罪伊何?
133、争遣伐器,何以行之?
134、并驱击翼,何以将之?
135、昭后成游,南土爰底。
136、厥利惟何,逢彼白雉?
137、穆王巧梅,夫何为周流?
138、环理天下,夫何索求?
139、妖夫曳炫,何号于市?
140、周幽谁诛?焉得夫褒姒?
141、天命反侧,何罚何佑?
142、齐桓九会,卒然身杀。
143、彼王纣之躬,孰使乱惑?
144、何恶辅弼,谗谄是服?
145、比干何逆,而抑沈之?
146、雷开阿顺,而赐封之?
147、何圣人之一德,卒其异方?
148、梅伯受醢,箕子详狂?
149、稷维元子,帝何竺之?
150、投之于冰上,鸟何燠之?
151、何冯弓挟矢,殊能将之?
152、既惊帝切激,何逢长之?
153、伯昌号衰,秉鞭作牧。
154、何令彻彼岐社,命有殷国?
155、迁藏就岐,何能依?
156、殷有惑妇,何所讥?
157、受赐兹醢,西伯上告。
158、何亲就上帝罚,殷之命以不救?
159、师望在肆,昌何识?
160、鼓刀扬声,后何喜?
161、武发杀殷,何所悒?
162、载尸集战,何所急?
163、伯林雉经,维其何故?
164、何感天抑墬,夫谁畏惧?
165、皇天集命,惟何戒之?
166、受礼天下,又使至代之?
167、初汤臣挚,后兹承辅。
168、何卒官汤,尊食宗绪?
169、勋阖梦生,少离散亡。
170、何壮武历,能流厥严?
171、彭铿斟雉,帝何飨?
172、受寿永多,夫何久长?
173、中央共牧,后何怒?
174、蜂蛾微命,力何固?
175、惊女采薇,鹿何佑?
176、北至回水,萃何喜?
177、兄有噬犬,弟何欲?
178、易之以百两,卒无禄?
179、薄暮雷电,归何忧?
180、厥严不奉,帝何求?
181、伏匿穴处,爰何云?
182、荆勋作师,夫何长?
183、悟过改更,我又何言?
184、吴光争国,久余是胜。
185、何环穿自闾社丘陵,爰出子文?
186、吾告堵敖以不长。
187、何试上自予,忠名弥彰?

出典:古詩文網

下のリンクをクリックすると中国の神獣や妖怪をまとめたページへ移動します。

中国の神獣妖怪のまとめページ

様々な書物の翻訳ページです!その他の翻訳に関しては以下をご覧ください!

山海経、神異経、史記、捜神記など中国の古い文献の翻訳まとめページ




シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする