山海経を読もう!No,1 五蔵山経南山経編

山海経翻訳シリーズNo,1、五蔵山経南山経編です。

山海経の概要に関しては以下をご覧ください!

山海経:中国の妖怪はここから来ている!妖怪のネタ帳として有名な山海経

山海経のその他の翻訳に関しては以下をご覧ください!

山海経翻訳まとめページ

山経はひたすら山の内容が書かれています。よく言われるのが読んでいて退屈であると言うことですが、その通りで結構退屈です。しかし時折出てくる奇妙な怪物たちに思わず目が点になってしまいます。

もともとは山経から作られたと言われており、その後に海経、大荒経が書かれたとされています。山海経が書かれた目的は今もってはっきりしていませんが、人によっては山海経は方士の書、つまり薬草から薬を作ったり風水などを行ったり今でいう道教の前身の方々のための書であった、とも言われています。




山からは様々な鉱物がとれますし、植物の名前もあります。今でも漢方薬として使用されている薬草なども書かれていますので、方士達がこれまで得た情報をもとに書かれたと言われると思わずうなずいてしまいます。

山海経には中国の神話時代の伝説が書かれており、失われてしまった情報を読み取ることができることも魅力です。中国では焚書坑儒などの歴史を通して沢山の古代の情報が失われてきました。ほとんど失われてしまった様々な情報が断片的に残っているのがこの山海経なのです。そのため今では学術的な価値は非常に高く、過去を知る重要な手掛かりとなっています。

その他にも様々な野獣の存在が書かれています。南山経を読んでみて目を留める点は鳳凰の記述です。山海経が書かれたのは漢代だと言われていますが、そのころからすでに鳳凰はおめでたい存在として信仰されていたことが伺えます。

  • 翻訳文
  • 南山経一経

南方の主列山系は鵲山山系と呼ばれる。鵲山山系で最も高い山は招揺山であり、西海岸辺りにある。そこには桂樹が生い茂って、豊富な金属鉱物と玉石が埋蔵されている。山中には草があり、形状は韮の葉で青色の花を咲かせる。名前は祝余といい、その草を食べると空腹感を感じなくなるという。山中にはまた樹木があり、形状は構樹(カジノキ)に似ているが黒色の模様があり光輝き四方を照らしている。名を迷谷といった。人がその木を身に帯びると方向を迷わなくなると言う。山中に野獣がおり、形状は猿だが両耳が白く、地に伏せ匍匐して這った。また、人と同様に二足で直立歩行でき、名を猩々と言った。その肉を食べると走るのが速くなるという。麗水はこの山から湧き出て西に流れて大海に注いでいた。水中には育沛というものがあり、これを見に帯びておくと蠱脹にかからないという。(蠱脹とは蠱毒により腹部が膨れ上がる病気を指しています。)

蠱毒に関しては以下をご覧ください!

蠱毒(こどく)で本当に人を呪えるのか?そもそも中国の蠱毒とは?

さらに東へ三百里に堂庭山があり、山には棪木が繁茂しており白色の猿が多くいた。水晶を多く産出し、豊富な黄金が埋蔵されている。

さらに東へ三百八十里に翼山があり、山には多くの奇怪な野獣がいた。水中にも多くの奇怪な魚がおり、白玉を多く産出し、蝮虫(毒蛇の一種)が多くおり、奇怪な蛇が多く、奇怪な樹木も多く、人は上には登れなかった。

さらに東に三百七十里に杻陽山があった。山の南面から多くの銅が産出され、北面から多くの白金が産出された。山中には野獣がおり、その形状は馬で白色の頭部、体には虎のような模様があり尾は紅色であった。咆哮は人が歌を歌っているようで、名を鹿蜀と言った。人がその毛皮の衣服を着ると子宝に恵まれ、多くの孫にも恵まれるという。怪水はこの山から湧き出て東を流れて宪翼水に注いでいた。水中には沢山の暗紅色の亀がおり、その形状は普通の亀であるが、鳥のような頭部と蛇のような尾を持っており、旋亀と言った。その声は木を割る際の音のようで、身に帯びると聾にならず足底の魚の目を治すのにも良い。

旋亀に関しては以下をご覧ください!

玄亀(旋亀):山海経に出てくる妖怪怪物は実在する種もあった

さらに東へ三百里に柢山があり、山間には多くの水が流れていた。草木は無かった。魚がおり、牛のような形状で斜面の上に住んでおり、蛇のような尻尾と翼があった。翼は肋骨の上に生えており、鳴き声は犁牛のようで、名を鯥と言った。冬にはじっとしており夏になると活発に活動を開始し、鯥の肉を食べると癰腫(感染症などによる腫れ)疾病にかからないという。

さらに東へ三百里に亶爰山があり、山間には多くの水が流れていた。草木は無く上には登れなかった。山中には野獣がおり、形状は野猫で人と同じような頭髪があった。名を類と言った。雌雄両性であり、類の肉を食べると妬みや嫉妬心が起こらなくなる。




さらに東へ三百里に基山があり、山の日の当たる南面には多くの玉石が産出され、山の陰になる北面には奇怪な樹木が多くあった。山中には野獣がおり、羊のようで九条の尾と四つの耳を持ち、眼は背の上にあった。名を猼訑(はくち)と言った。人がその毛皮を着ると恐怖心が起こらなくなるという。山中にはさらに禽鳥がおり、形状は鶏のようであり三つの頭が有り六つの眼、六つの脚、三つの翼があった。名を尚付と言い、その肉を食べると居眠りをしなくなるという。

さらに東へ三百里に青丘山があり、山の南陽面では玉石(翡翠)を多く産出し、山の北陰面では青雘(せいわく:青色の鉱物顔料で藍銅鉱などと推測されます。)が多く産出した。山中に野獣がおり、その形状は狐のようで九本の尻尾はあり、鳴き声は赤ちゃんの泣き声に似ていた。人を食べることがある。この野獣の肉を食べた者は妖邪毒気を受け付けなくなるという。山中にさらに禽鳥がおり、その形状はキジバトのようであり、鳴き声は人が罵り合うような声であり名を灌灌と言った。その羽毛を身につけておいた者は惑わされなくなるという。英水はこの山から流れ出て南へ向かい翼澤に注いだ。澤の中には多くの赤鱬がおり、その形状は一般的な魚であるが人面であり、発する声はオシドリの鳴き声と同じであり、その肉を食べると疥癬に罹らないという。

さらに東へ三百五十里に箕尾山があり、山の尾根の端は東海の岸に位置しており、小石が多い。汸淯水はこの山を流れ出たあと南へ流れ淯水に注いだ。水中には白色の玉石が多くあった。

この山系の首は鵲山で、招摇山から起こり箕尾山で終わり、全部で10の山があり、二千九百五十里に渡っていた。諸山の山神の形状は全て鳥身龍頭であった。山神の祭祀の典礼は、畜禽と璋(しょう:古代の祭祀用の玉器)を共に地下に埋め、祀神の米には稲米を用い、白茅草で神の座席を作った。

  • 南山経二経

南方の第二列山系の首は柜山で、西辺は流黄酆氏国と流黄辛氏国に隣接しており、山上で北を向けば諸山を一望でき、東を向けば長右山を見ることができた。英水はこの山を流れ出てた後西南方向に流れ赤水に注いだ。水中には多くの白色の玉石があり、さらに粟粒程度の大きさの丹沙(辰砂とも。硫化水銀の事で朱の原料)があった。山中に野獣がおり、その形状は一般的な子豚のようで、鶏の爪を持っており犬と同じように吼え、名を狸力と言った。狸力が現れた地方はどこでも灌漑工事が必要になるという。山中にさらに鳥がおり、形状はハイタカのようであり人のような爪があり、鳴き声は痺(うずら)のようであった。名を鴸と言った。その名前は鳴き声に由来してつけられた。鴸が現れた地方はどこでも多くの文士が放出されることになるという。

柜山から東南に四百五十里に長右山があり、草木は無かったが水は豊富にあった。山中には野獣がおり、形状は猿のようだが四つの耳があり、名を長右と言った。その鳴き声は人が苦しんでいるような声で、長右が出現した郡県はどこでも大洪水が発生するという。

さらに東へ三百四十里に堯光山があり、山の南陽面からは多くの玉石が産出され、山の北陰面からは多くの金が産出された。

山中には野獣がおり、形状は人のようだが豚のような鬣があり、冬は洞穴でじっとしており、名を猾褢(かつかい)と言った。鳴き声は木を切る時の音のようで、猾褢が現れた地方はどこでも頻繁に労役を課せられるという。

さらに東へ三百五十里に座羽山があり、山の下は水が流れ、山上には常に雨が降っていた。草木は無く蝮虫(毒蛇の一種)が大変多かった。

さらに東へ三百七十里に瞿父山があり、山上には草木は無かったが金属鉱物と玉石が豊富に産出された。

さらに東へ四百里に句余山があり、山上には草木は無かったが金属鉱物と玉石が豊富に産出された。

さらに東へ五百里に浮玉山があり、山上から北を向くと具区澤が望め、東を向くと諸水が望める。山中には野獣がおり、その形状は虎のようで、牛の尻尾がありその鳴き声は犬の泣き声と同じであった。名を彘(てい)と言い人を食べた。苕水はこの山の北麓より流れ出て北へ向かい具区澤に注いだ。水中には沢山の鮆鱼が住んでいた。

さらに東へ五百里に成山があり、四角形で三層の土壇があり、山上からは金属鉱物と玉石が豊富に産出され、山下からは青雘を多く産出した。水はこの山から出でて後に南に向かい虖勺水に注いだ。水中には黄金が豊富にあった。




さらに東へ五百里に会稽山があり、四角形で山上には金属鉱物と玉石が豊富にあり、山下には透明で輝いている砆石(玉に似ていると言われているが何の石を指すかは不明)が多く産出した。勺水はこの山から流れ出て南へと向かい、湨水に注いでいた。

さらに東へ五百里に座夷山があり、山上には草木は無く至る所に細かい砂利があった。湨水はこの山を出て南へ向かい、列涂水に注いだ。

さらに東へ五百里に仆勾山があり、山上からは金属鉱物と玉石が豊富に産出された。山下には草木が繁茂し花を咲かせていたが禽鳥野獣はおらず水もなかった。

さらに東へ五百里に咸陰山があり、草木は無く水もなかった。

さらに東へ四百里に座洵山があり、山の南陽面からは金属鉱物が豊富に産出され、山の北陰面からは玉石が豊富に産出された。山中には野獣がおり、その形状は一般的な羊であるが口は無く、物を食べなくても活動でき死ななかった。名を䍺と言った。洵水はこの山から出でて南に流れて閼澤の南に注いでいた。水中には紫色の螺が多くいた。

さらに東へ四百里に虖勺山があり、山上には至る所に梓(あずさ)の木と楠木があり、山下には牡荊(ニンジンボク)と苟杞(クコ)の木があった。滂水はこの山から出でて東に向かい大海へと注いでいた。

さらに東へ五百里に区呉山があり、山上には草木は無く至る所に砂と石があった。鹿水はこの山から出でて南へ向かい、滂水へと注いでいた。

さらに東へ五百里に鹿呉山があり、山上には草木は無く豊富な金属鉱物と玉石があった。澤更水はこの山から出でて南へ向かい、滂水へ注いでいた。水中に野獣がおり蠱雕(こちょう)と言った。その形状は一般的なクマタカのようであるが頭の上に角があり、発する声は赤子の泣き声のようである。人をよく食べるという。

さらに東へ五百里に漆呉山があり、山中には草木は無く碁石を作るのに適した石が多く産出されたが玉石は産出されなかった。この山は東海の浜にあり山上からは丘陵が所々見え、明るくなったり暗くなったりする光影が有り太陽が休憩する場所であった。

南方の第二の山系をまとめると、柜山から起こり漆呉山で終わる。全部で十七の山があり、七千二百里に渡って存在した。諸山の山神の形状は龍の体で鳥の頭であった。山神の祭祀は畜禽と玉碧を一緒に地中に埋め、神を祭る時に使用する米は稲米を用いた。

  • 南山経三経

南方の第三の山系で最も高いのは天虞山で、山下には至る所に水があり、人は上には登れなかった。天虞山から東へ五百里に祷過山があり、山上からは金属鉱物と玉石が多く産出され、山下には至る所に犀、兕の他に多くの怪物がいた。山中には禽鳥がおり、形状は鵁のようだが白い頭部で三本足、人と同じ顔をしていた。名を瞿如(くじょ)と言った。その鳴き声は自分の名前を呼んでいるように聞こえた。泿水はこの山をより出でて南に向かい大海に注いでいた。水中には虎蛟の一種がおり、形状は一般的な魚の体だが蛇のような尻尾が一本あり頭はオシドリの頭で、その肉を食べると潰瘍疾病にならず、痔の治療にも使用できるという。

さらに東へ五百里に丹穴山があり、山上からは金属鉱物と玉石が豊富に産出された。丹水はこの山より流れ出て南へ向かい渤海へと注いでいた。山中に鳥がおり形状は一般的な鶏のようで全身は五彩の羽毛で覆われていた。名を鳳凰と言った。頭の上には花紋があり”徳”という字を形どっており、羽の上にある花紋は”羲”という文字の形に見え、背中の花紋は”礼”、胸部の花紋は”仁”で、腹部の花紋は”信”の形状であった。この鳳凰と呼ばれる鳥は飲食は自然に優しく、常に歌い舞っており現れると天下太平になるという。

鳳凰に関しては以下をご覧ください!

鳳凰:朱雀のモデルとなり火の中から甦るおめでたい神鳥

さらに東へ五百里に発爽山があり、草木は無いが流水はあり、白色の猿が多くいた。泛水はこの山を湧き出でて南へ向かい、渤海に流れ込んでいた。

さらに東へ四百里で旄山の麓に至る、ここの南面には峡谷があり育遺と言い、奇怪な鳥が多く住んでおり、南風はこの場所から吹き出していた。

さらに東へ四百里で非山の山頂部へ至る。山上からは金属応物と玉石が多く産出され、水は無く山下には蝮虫がいた。

さらに東へ五百里に阳夹山があり、草木はなく流水があった。




さらに東へ五百里に灌湘山があり、山上には樹木があったが草花は無く、山中には非常に多くの奇怪な禽鳥がいたが、野獣はいなかった。

さらに東へ五百里に鶏山があり、山上には豊富な金属鉱物があり、山下では丹雘を多く産出した。黒水はこの山を流れ出た後、南に流れ大海に注ぐ。水中には鯖魚の一種がおり、その形状は鮒に似ていたが豚の毛があり子豚と同じように鳴き、この魚が出現すると天下に干ばつが起こるという。

さらに東へ四百里に令丘山があり、草木は無く至る所に野火があった。山の南辺に峡谷があり、中谷と言った。東北風はこの中より吹き出していた。山の中に禽鳥がおり、形状は梟に似ているが人面で目が四つあり耳があった。名を顒(ぎょう)と言った。その鳴き声は自身の名前と同じ音声であり、出現すると天下には大干ばつが起こるという。

さらに東へ三百七十里に論者山があり、山上には豊富な金属鉱物と玉石があり、山下には青雘を多く産出した。山中には樹木があり、その形状は一般的なカジノキのようで紅色の線上の模様があった。枝や幹からは漆に似た樹液が出て、味は甘く人が食べると飢餓感を感じなくなり、心が沈み込んだ状態を回復させる。名を白咼と言い、玉石を鮮やかな紅色に染めることもできる。

さらに東に五百八十里に禺稿山があり、山中には奇怪な野獣が多くおり、沢山の大蛇がいた。

さらに東へ五百里に南禺山があり、山上からは金属鉱物と玉石が多く産出され、山下は至る所に流水があった。山中には洞穴があり春になると水は洞穴に流れ込み、夏になると洞穴から流れ出した。冬には入り口ふさがって水が流れなくなってしまった。佐水はこの山より流れ出し、東南へ向かい大海に注いだ。佐水が流れる地方には鳳凰と鵷雛(えんすう)が住むと言う。

南方の第三の山系をまとめると、天虞山から起こり南禺山で終わり、全部で十四の山があり、全行程は六千五百三十里である。諸山の山神は皆龍身で人面であった。山神の祭祀には全て犬の作った一条の白色の供品を用いて祈祷し、祭祀用の米は稲米を用いていた。

以上が南方全体の山の記録であり、大小四十の山があり、全行程は一万六千三百八十里であった。

以上

原文は以下のリンク先にあります。

山海経·南山経

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