捜神後記、第七巻のご紹介です
- 虹化丈夫
盧陵郡巴邱県に陳済という人物がおり、州府で官吏になった。彼の妻の姓は秦と言い、家で一人で生活していた。成年の男がおり、背丈は一丈ほどで端正な顔立ちをしており、紅色と碧緑色が互い違いになった長袍を着ていて色彩は鮮やかで目を引きいつも陳済の妻を伴っていた。
以降彼らは常に山間の渓流で密会し、その内一緒に寝る間柄になり知らず知らずのうちに彼らの感情は合わさっていった。このような生活が数年続き、秦氏の家にその成年が訪れるときには常に虹が出ていた。秦氏が河辺に至ると、その成年は金瓶で水を入れ一緒に飲んだ。以降、秦氏は妊娠し、生まれてきた子は人のようであったが非常に太っていた。
陳済が休暇で家に帰ると、秦氏は彼に子供を見られるのを恐れて大甕の中に隠した。件の成年は金瓶を彼女にあげ、彼女に子供の蓋に使わせて言った。「子供は非常に小さいので、私はまだその子と一緒に行けない。あなたは子供のために衣装を作る必要はなく、私自身の衣装をその子に着せよう。」そして一着の紅色の袋を彼女に渡し子供を包ませ、子供を抱えだして乳を飲ませるように言い聞かせた。
その日は薄暗くて風が強く、雨が降っていたが虹が出ており、近所の人がその虹が秦氏の家の中に落ちて成年に変わるのを見た。しばらくすると、その成年が子供を抱えて離れるときに、また風が吹き雨が降り空が薄暗くなり、人々は二条の虹が秦氏の家を離れるのを見た。数年後子供は母親を探したいと思った。
ある時、秦氏が田へ行くと、山間に二条の虹を見て恐ろしく感じた。すると、すぐにあの成年が出てきて彼女に、「私だ。恐れることは無い。」と言った。これ以降、その成年が現れることはなかった。
- 周子文失魂
東晋の中興の後、譙郡に周子文という人物がおり、晋陵の家に住んでいた。彼が若いころ、弓で狩りをするのが好きでよく山に入っていた。ある日、峰の上に忽然と一人の人物が現れ、背丈は五、六丈であり手には弓矢を持っていて、矢は二尺ほどあり降り積もった雪のように白かった。その人物は突然声を出して「阿鼠!(周子文の幼名)」と呼びかけると、周子文は意に反して、「喏」と答えると、その人物は弓を引き絞り周子文に狙いを定めると、周子文は魂魄を失い地に倒れた。
- 毛人
東晋の孝武帝の在位中に、宣城郡の秦精という人物がいつも武昌山に入って茶葉を摘んでいた。ある時、忽然と人と出会い、その人物の背丈は一丈あり、全身は毛で覆われていて山の北面から来た。秦精がその人物を見ると、非常に怖れ自身に必死に言い聞かせた。その毛人が秦精の腕を引っ張ると、彼を山中へと連れて行き、大きな茶の木の生えている場所へと至った。その後、秦精を放していなくなったので、秦精は茶の葉を摘んだ。しばらくすると、毛人が帰ってきて懐に抱えたニ十個のミカンを秦精に渡すと、そのミカンは特に甘かった。秦精は非常に奇怪に感じ、茶葉を背負って家に帰った。
- 両頭人
南朝宋武帝永初三年に、謝南康の家の一人の女の使用人が、街で一匹の黒犬に出会った。その犬は使用人に、「私の後ろを見なさい。」というと、使用人は振り返り見てみると、頭が二つある三尺ほどの人が見えた。使用人は恐ろしくなり急いで家に逃げ帰ると、その両頭人と黒犬も彼女について走ってきた。謝南康の家の庭に着くと、家の人々は皆隠れてしまった。使用人は犬に向かって、「なぜ着いて来るの?」と聞くと、黒犬は、「食べ物を貰おうと思ったのだ。」と言った。使用人が食べ物を持ってくると、両頭人と黒犬は全て食べてしまった。その後、両頭人は立ち去った。使用人はこれにより黒犬に、「あの両頭人はすでにいなくなった。」と言うと、黒犬は、「正巳にまたやってくる。」と言った。それから暫くいると黒犬はいなくなり、どこに行ったのかわからなかった。以降、謝南康の家の人々は死に絶えた。
- 壁中一物
南朝の時、宋国の襄城公李頤がおり、彼の父親は一生妖魔奇怪を信じない人であった。ある邸宅で妖魔奇怪が騒がしかったので長いこと誰も住もうとしなくなり、あえて住んだ人は皆住んでしまった。李頤の父親はその邸宅を買って住んだが、長い年月住んでみても平和であり子孫も繁栄した。李頤の父親は二千石の俸禄の官吏になり、赴任のために官府へと引っ越した。引っ越しの前、親戚たちを集めて酒宴を開き、李頤の父親は皆に、「天下に一体吉利災禍はあるのか?この邸宅では皆災禍が発生するに違いないと言ったが、私が引っ越した後ではこんなに長年平安で吉であった。さらに昇官し、どこに妖魔奇怪が存在するのだ。これ以降、この凶宅は吉宅となす。住みたい人は住めばいい。心中に疑いを持つ必要はもうない。」と言った。言い終わると厠へ行き、すぐに壁の上に現れた物をみると、撒かれて筒状になっているござのようで、五尺ほどの高さがあり、純白であった。李頤の父親はすぐに戻り、刀を掴んでその物を斬ると、真っ二つに斬れ、その物は二人の人に変わった。
再度斬ると、さらに四人になった。四人は李頤の父親の刀を奪い、李頤の父親を斬り殺してしまった。四人は刀を持って宴席に現れ、李家の子弟を斬り殺した。凡そ李姓の人間は殺されてしまい、姓の異なる人は害を免れた。その時、李頤本人はまだ幼く産着にくるまれていた。李家の人々は禍が発生したことを知った後、乳母が李頤を抱きかかえて裏門から逃げ出し、知り合いの家に隠れてしまったので、彼一人だけは辛うじて難を逃れた。李頤の字は景真と号し、官位は湘東太守に至った。
- 狗変形
南朝時代の宋国に王仲文という人物がおり河南郡の主簿に任ぜられた。その家は 緱氏県の北にあった。ある日、王仲文は暇を持て余していたので、夜に沢へ行った。そこで車を見ると、その後ろに一匹の白い犬がいた。彼はその犬を大変気に入り、捕まえようとした。すると忽然と白犬は人のような姿に変わり、それは方相神の様であり、眼は紅く火のようであり研がれた牙に舌を出していて、人に嫌悪感を抱かせる容貌であった。
王仲文は非常に恐れ、使用人と共にその怪物を退治に行ったが、退治する前に逃げられてしまった。王仲文は家に帰り家族に言うと、十人以上の人が集まって手に刀と火を持って再びその怪物を探しに行ったが、その怪物はどこへ行ったのかわからなかった。一か月が過ぎると、王仲文は忽然とまたその怪物を見て、彼と使用人は一緒に逃げだし家に着かぬ内に両者は地面に倒れて死んでしまった。
出典:古詩文網
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