騊駼:大昔は神獣のことを指していた名馬の美称

騊駼(とうと tao2tu2 タオトゥー)

騊駼は北方の青い毛の野生の馬のことですが、歴代の名馬を指すようになったため騊駼という名称は人々に重要視されました。馬の他には騊駼と言う名を持った人もおり、東漢臨邑候の劉騊駼や隋朝官吏の李騊駼などがいます。

《逸周書・王会》には、” 禺氏 騊駼。”とあり、この一文に対して孔晁が、”騊駼とは馬の一種である。”と注釈を行っています。司馬遷の史記にも、”匈奴が乗る動物が騊駼である。”と言う一文がありますので、こちらも騊駼は馬の事を指しています。他の文献にも騊駼に関して北方にいる青色の馬の事を指しているという記述が多くみられます。




しかし、山海経・海外北経には、”北海内に野獣がおり、その形状は一般的な虎のようで名を騊駼と言った。”とあり、虎のような怪物として描かれています。山海経も山海経のやや後に書かれた史記も同じ漢代に書かれた書物ですが、一方では虎に似た怪物、一方では馬と同時期でも解釈は判れてしまっています。

山海経の注釈を行ったことで有名な郭璞は山海経のこの虎のような怪物の一文を引用して、”北海内に獣がいた。形状は馬のようで名を騊駼と言い青色であった。”と注釈を残しています。両方の解釈を結び付けてしまったわけです。これは郭璞自身が強引に解釈したのか、郭璞が注釈を行う以前より山海経の騊駼と言う怪物は実は青い馬のことであると言う論調があり、それに従って郭璞が注釈を行っただけなのか今となっては判りません。

現在では騊駼は北方産の馬とされています。この北方はどのあたりを指すかと言うと《史記》の、匈奴が乗る動物が騊駼である、との記載に従えば甘州内であったと推測されます。匈奴自体はモンゴルから中央アジアにかけて存在した遊牧民族の総称です。

また、古書にある海外とは陸続きでも中国(中原)以外の場所で友好関係にあった国を指しています。騊駼という名は山海経の海外北経に記載されており、当時の中原の北にあった匈奴産の馬を指していたのではないかと考えられます。これらの関連性により多くの人が現在の蒙古馬は騊駼馬の子孫なのではないかと考えています。

出典:baidu

今回は騊駼のお話でした。騊駼はもともとは謎の神獣を指していましたが、それが青い馬を指すようになり、最終的には名馬の美称として用いられるようになりました。騊駼の他にも天馬など中国では馬の美称が多く存在します。

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