ダーウィンをガラパゴスに導いた海賊がいた

ダーウィンはガラパゴスに行き、進化論に気づきました。それまでキリスト教では、全ての生き物は神が作ったとされていたので、異端となる理論ですが、今では進化論を否定する人たちはほとんどいません。しかし、よくよく考えてみると、ダーウィンはなぜガラパゴス諸島へ行ったのでしょうか?このきっかけを作ったのは何と海賊でした。


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ダーウィンをガラパゴス諸島へと導いた海賊の名をウィリアム・ダンピアと言います。ダンピアは私掠船の船長でした。私掠船は、敵国の商船や街を襲って略奪することを許された政府公認の海賊たちです。 海賊と言っても幅広く、無法者が集まった犯罪集団から、私掠船や、船に乗って生計を立て、気ままに海上で生活をしている人たちまで様々です。

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私掠船は航海術も優れており、世界中の様々な土地へ行き、地図を作成したり未踏の地を探検したり、世界中の空白地帯を埋めていました。 特に様々な地の気候や動植物の特徴など詳細に報告もしており、大航海時代を通して、世界中の情報をヨーロッパの国々にもたらしたのはこの海賊たちの探検によるものが多かったのです。


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特にダンピアはその生涯の大半を冒険に費やしました。オーストラリアやインドなどを探検しました。彼の最大の特徴は、自分の見たものを正確に書き残していたことでした。凄いのが、マナティーの生態から、マナティーを食べたときの味まで細かく記していました。ダンピアが言うにはマナティーの味は甘みが強いそうです。その記録を“A New Voyage Round the World”という名で出版しました。この本は当時の科学者達にこぞって読まれました。この本を読んだ一人にダーウィンが居ました。

マナティーの味を調べ、ダーウィンをガラパゴスへと導き、世界中の不思議を探検して科学の発展に貢献した海賊 ウィリアム・ダンピア

ダンピアが行った冒険はダーウィンが生まれる100年ほど前の話です。両者は直接会ったなどはないですが、ダンピアはダーウィンをはじめとして、ヨーロッパ中の科学者たちに少なからず影響を与えました。

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