第十六巻:捜神記を翻訳してみた

捜神記第十六巻の翻訳です。今回は鬼の話が多いですが、読んでいると、古い中国では鬼は人に害をなす場合が多いので、殺してしまうことが一般的であったようです。つまり、一般の人でも鬼であると疑われると、鬼として殺される場合が多くあったのでは…((;゚Д゚)) と想像できて、怖いですね(´;ω;`)

  • 三疫鬼

以前、顓頊氏に三人の子がおり、死後に皆人に病を引き起こす悪鬼となった。一匹は長江の中に住み、疫病を伝搬させる疫鬼である。一匹は若水の中に住む魍魎鬼である。一匹は人の家に住みよく子供を脅かす小鬼である。帝王が正月に方相氏に命じて廟会を挙行したので、疫病を伝搬させる悪鬼を追い立てた。

  • 挽歌の辞

挽歌は喪家の哀楽であり、送葬人が出棺の路上で互いに応える声である。挽歌の歌詞には《薤露》と《蒿里》の二章があり、漢代の貴族田横の門客の作である。田横が自殺した後、門客たちは非常に嘆き悲しみ、悲しみの歌謡を歌い出した。歌詞の意味は、「人は薤の葉の上の露の如くであり、容易に蒸発して消え去ってしまう。人の死後もまた霊魂は蒿草の中へと帰る。だからこの二首の挽歌があるのだ。」という。

  • 黒衣白袷(あわせ)の鬼

呉興の人である施続は尋陽郡の督軍で、議論に長けていた。施続には一人の学生がおり学問に通じており、鬼などいないと主張していた。ある日、突然黒衣白襟の客人がやってきて学生と話をし、気が付けば鬼神の話となっていた。次の日、客人は、”あなたの弁舌はよろしいが、理由が足りません。私は鬼ですが、なぜいないと言えるのです?”と言った。施続の学生は尋ねた。”なぜここに来たのですか?”すると鬼は、”私はあなたの命を取るために派遣されてきました。死期は明日の食事中です。”と答えた。学生は鬼に尾の地を助けてくれるように頼んだが、その表情は悲痛に満ちていた。鬼は、”ここにあなたに似ている人はいますか?”と聞くと、学生は、”施続の配下の都督が私に似ています。”と答えた。そして、鬼と学生は共に都督の元へと行き、鬼と都督は相対して座った。鬼は一尺ほどもある鉄のノミっを取り出して都督の頭上に置き、その後、鉄のノミを持ち上げて落とした。都督は、”頭が少々痛んだ。”と言うと、以降、頭痛は次第に激しくなった。そして食事の時に死んでしまった。

  • 温序死節

温序は字を公次と言い、太原郡の祁県の人であった。温序は護軍校尉に任じられ、隴西(ろうせい)に到り巡視を行っている時に、その地の豪族の隗囂(かいごう)の部下から攻撃を受け、生け捕りにされそうになった。温序は激怒し、節杖で捕縛しに来た兵士を撃ち殺すと、他の賊兵たちは一斉に温序を殺そうと襲い掛かった。その時、隗囂の副将の荀宇が賊兵を阻止し、”義士は名誉のために死す。”と言い、剣を投げて温序を自害させた。

温序は剣を持つと、髯を口の中に入れて銜え、”髯を泥で汚すわけにはいかない。”と言い、自分で首を刎ねて死んでしまった。漢の光武帝は彼を憐み惜しみ、温序を洛陽の郊外に埋葬し墳墓を建立した。そして、温序の長子である温寿を印平侯に封じた。温寿は夢で温序を見ると、温序は、”私は長いこと外の地にいるので家に戻りたい。”と言った。温寿はすぐに官職を辞し、父親の遺骨を郷里へと送り埋葬した。皇帝は温寿の願いを聞き入れた。

注釈:隴とは現在の甘粛省付近を指す漢字です。

  • 文穎が棺を移す

東漢の南陽の人である文穎(ぶんえい)は、字を叔長と言い、献帝の建安年間に甘陵府丞に任ぜられた。一度、文穎は甘陵の境界辺りを過ぎたときに宿泊しことがあった。夜中を過ぎたころ、文穎は夢で一人の人物が文穎の前で跪いて、「以前、私はここに埋葬されましたが、水で押し流され、棺は水浸しになっています。しかし、私はこの冷たく暗い場所を自分の力で抜け出すことが出来ません。あなたがここにいることを知っていたので、あなたに助けを求めているのです。申し訳ないのですが、明日しばらく時間を頂き、私を高地で乾燥している場所へ移していただけないでしょうか。」と言った。その人物は服をめくって文穎に見せると、服は水浸しになっていた。

文穎は不気味になり、目が覚めると供の者にこの件を話した。すると、供の者は、「夢なので虚無です。ここに何の奇怪なことがあるのです?」と言ったので、文穎は再び眠ってっしまった。眠ると、文穎は再び夢でその人物に会い、その人物は、「私は私の苦難をあなたに訴えました。あなたはどうして私を憐れまないのですか?」と言うと、文穎は夢の中で、「あなたは誰ですか?」と尋ねた。その人物は、「私はもともとは趙国の人間で、現在では汪芒に属しているこの地方の神霊です。」と言った。文穎は、「あなたの棺はどこにあるのですか?」と聞くと、「すぐ近くです。あなたが寝ている場所から北へ十数歩の所で、水辺には一本の枯れた楊の木があり、その下です。もうすぐ夜が明けますので、あなたには会えません。必ずこのことを覚えておいてください。」と答えた。文穎は、”わかった。”と言うと、再び眠りについた。

夜が明けて出発するときに、文穎は、「夢の内容を語るのはばかげているが、なぜあの夢はあのようにはっきりしていたのであろうか。」と言った。供の者に、「大した時間がかかる訳でもないのでちょっと確認してみるか。」と言うと、文穎はすぐに十数人の供を引き連れてその場所に行って見ると、果たして一本の枯れた楊の木があった。文穎は、「ここだ。」と言うと、木の下の泥を掘った。すると、すぐに棺が出てきたが、その棺は損傷が激し、半分水に浸かっていた。文穎は、供の者に、「このようなことを聞くと虚偽であると思うだろうが、霊験なことがないわけではないのだ。」と言った。

  • 鬼鼓琵琶

三国時代の東呉の大帝である孫権の赤烏三年に、句章県の楊度と言う百姓が、余姚県へといった。夜道に。一人の若者が琵琶を抱きながら、車に乗せてくれるように頼んだので、楊度はその人物を車に乗せた。車の上でその若者は琵琶を弾き、数十曲を弾き終えると舌先を出し、目を盛り上げて楊度を驚かせた後、車から離れた。楊度はさらに二十里ほど行くと、今度は老人を見た。老人は姓を王、名を戒と言い、この老人もまた車に乗せた。楊度は老人に、「鬼は上手に琵琶を弾き、その曲調は非常にもの悲しいです。」と言った。王戒は、「私も弾けます。」と言った。王戒は先ほどの鬼であったのだ。鬼は今度も目を大きく見開き、舌を出し、楊度はもう少しで死んでしまうところであった。

  • 三鬼が酒に酔う

東漢の武建元年に、東菜郡の池という姓の百姓がおり、家で常に酒を醸造していた。ある日、その百姓は三人の奇怪な客人を見た。麺を持っており、家の酒を飲み終わると帰っていった。しばらくして、ある人物がやってきて、「三匹の鬼を見たが、みんな酔って林の中で寝ていた。」と言った。

  • 銭小小

呉先生が武衛兵の銭小小を殺した。銭小小の魂は大きな街で形を成し、賃借人の呉永に会いに行き、呉永に借用証書を作らせ、街の南の廟にある二個の木馬を借りた。銭小小が酒を口に含んで木馬に噴くと、木馬は生きている馬に変わり、馬には鞍も轡もあった。

  • 宋定伯が鬼を売る

宋定伯は南陽の人であった。若い頃、夜歩いていると偶然鬼に出会った。宋定伯は鬼に向かって誰か聞いた。鬼は、「私は鬼だ。」と言った。鬼は、「お前こそ誰だ?」と聞くと、宋定伯は鬼を騙して、「俺も鬼だ。」と言った。鬼は、「どこへ行くのだ?」と聞くと、宋定伯は、「宛県の市へ行く途中だ。」と言った。これを聞いて鬼は、「そうか、それでは俺も宛県の市へ行こう。」と言い、同行した。

彼らは共に歩きだし、数里が過ぎた。鬼は、「歩くのが遅いな。代わる代わる持ち上げて歩くというのはどうだ?」と言うと宋定伯は、「それは良いな。」と言った。鬼は先に宋定伯を担いで数里歩いた。鬼は、「お前は重いぞ、本当に鬼なのか?」と訝しんだが、宋定伯は、「俺は最近鬼になったばかりなので、まだ重いままなんだ。」と言った。次に宋定伯が鬼を担いで歩くと、鬼は少しも重くなかった。彼らはこの様に何度も何度も入れ替わり担ぎあった。宋定伯は鬼に、「俺は鬼になったばかりで知らないんだが、何を恐れて何を忌諱すればいいのだ?」と聞くと、鬼は、「人に口から唾をかけられることだ。」と言い、両者は宛県への道を進んでいった。

途中、河が行く手を遮っていたので、宋定伯はまず鬼に河を渡らせ、鬼が河を渡っている時には音を立てず静かにしていた。宋定伯が河を渡る時には、水をかき分ける音があった。すると鬼は、「何の音だ?」と聞くと、宋定伯は、「死んで間もないのでまだ上手く川を渡れないのだ。俺を責めないでくれ。」と言った。

宛県の市場に着くと、宋定伯は鬼を肩に担ぎ、しっかりとつかんだ。鬼は大声で罵り叫び、放すように言った。宋定伯は鬼を無視し、まっすぐに宛県の市場へ行き。そこで鬼を地面に放り投げた。鬼は羊に変わり。宋定伯はその羊を売った。鬼がまた何かに変化するのを恐れて羊に唾をかけた。宋定伯は羊を売って一千五百文の銭を得て去った。当時の石崇は、「定伯は鬼を売り、千五百銭を得た。」と言っている。

  • 紫玉と韓重

春秋時代の呉の王、夫差には娘がおり、名を紫玉と言い、18歳で教養は高く外見も非常に美しかった。韓重と言う少年は19歳で、道術が使えた。紫玉は韓重を愛し、暗闇の中で手紙の交換を行い、韓重に嫁ぐと答えた。韓重は斉、魯周辺に学問を学びに行き、行く間際に父母に韓重のために求婚をしてくれるように頼んだ。すると、呉王は激怒し、娘を韓重に嫁がせるとは言わなかった。紫玉は失望し、死んでしまった。紫玉の亡骸は閶門(しょうもん)の外に埋葬された。

三年後、韓重が戻ってきて父母に求婚の事を聞くと、「呉王は怒り、結婚を許さなかったので紫玉は死んでしまった。すでに埋葬されている。」と答えた。韓重は非常に悲しみ、祭品を持って墓に参った。紫玉の魂魄が墓の中から出てきて韓重と会い、涙を流して、「あの年、あなたが去った後、あなたの父母が父王にあなたとの結婚のお願いをしましたが、私たちの心情を退けてしまいました。思いがけない別れの後、このような厄運にあってしまいました。どうすることが出来ましょう。」と言った。

紫玉は続けて顔を向きなおし頭を上げて、「南山上には鵲がおり、北山上には羅網がいる。鵲は早くに南へ飛んでいき、羅網はどうすればいいのか。あなたを想うが、いかんともしがたい中傷が多い。憂いが積み上がり病となり、黄泉で命を失う。運命は如何に不公平なことか。志を曲げることが明かになるのはいつであろう。山林百鳥の王、名は鳳凰と言う。一旦雄の鳳が去れば、雌の凰は三年悲しむ。鵲は沢山いるというけれども、つがいになるのは難しい。このため、再びその姿を現し、あなたと会い隙間から光を放っています。あなたと私は体は離れていますが、心は近いのです。お互いにいつ忘れることが出来るのでしょうか。」と歌った。

紫玉が歌い終わると、顔は涙で満たされていた。彼女は韓重と共に墓穴に戻ろうとしたが、韓重は、「陰間陽間は異なる世界だ。私は禍を受けるのが恐ろしいので、あなたの思いを受け取ることが出来ない。」と言った。紫玉は、「陰陽両界は同じではありません。それは私も知っています。しかし、今日分かれると、永遠に朝は戻ってきません。あなたは私がすでに鬼になっており、あなたに害をなすことを恐れているのでしょう。私は誠心誠意あなたに尽くしたいと思っています。それでも私を信じられないのですか?」と言うと、韓重はこの心情の吐露に心を動かさ、彼女を墓穴へと送りにいった。

紫玉は戻ると韓重のために宴を開き、彼を三日三晩泊め、彼と夫婦になった。韓重が去る時、紫玉は一粒の一寸ほどの明珠を贈って、「私の名声は既に損なわれ、希望は既にありません。これ以上言うことがありましょうか。望むことはあなたが自分を大切にすることです。私の家に行くことが出来るなら、私に代わって父王に敬意を表してください。」と言った。

韓重は墓から出ると呉王に拝謁しに行き、この件を話した。呉王は怒り、「私の娘は当に死んでいる。お前はでたらめを言って娘を貶めているに違いない。これは盗掘したものに過ぎず、鬼神が渡した作り話をしているのだ。」と言った。そして直ちに韓重を捕縛するように命令し、韓重が逃げ出した後、紫玉の墓の前に行って事情を説明した。紫玉は、「心配しないでください。今日私が家に戻り父王に言います。」と言った。

呉王が身支度をしている時、忽然と紫玉を見た。驚いたが喜んで、「なぜ生き返ったのだ?」と聞いた。紫玉は跪いて、「以前より、書生の韓重が求婚していましたが、あなたは許しませんでした。娘の名声は損なわれ、気持ちを踏みにじり、身を亡ぼすに至りました。韓重が遠方より戻ってきて、私が死んでしまったことをしり、祭品を持って弔問してくれました。私は彼の変わらない真心に感動させられ、彼に会いました。それでこの明珠を贈りました。決して盗掘したものではありません。父王は何卒罪に問うことの無いように。」と言った。

呉王夫人がこれを聞いた後、急いでやってきて娘を抱きしめると、紫玉は一縷の青煙となり消えていった。

  • 駙馬都尉

陝西郡の人である辛道度が学を求め旅をしていた。雍州城から五里ほどの場所へ到ると、大きな院があった。その門には青衣の女性が立っていた。辛道度が門へと行き、飲食の施しを求めるとその女性は主人の秦女に聞きに行った。秦女は辛道度を中へと招いた。辛道度が院の中に入ると、秦女は西の椅子に座っていた。辛道度が自分の名を言い、礼を言うと、秦女は辛道度に東の椅子に座らせ、すぐに食事を用意した。食べ終わったころ、秦女は辛道度に、「私は秦の閔王(びんおう)の娘で、曹国へ嫁ぐ予定でしたが、不幸にも嫁ぐ前に死んでしまいました。死んでからすでに二十三年経っており、ずっとここで一人で暮らしていました。今日、あなたがここへ来たので、私達は夫婦になることを望んでいます。共に三日過ごしましょう。」と言った。

三日三晩過ぎると、秦女は、「あなたは生きており、私は死鬼だ。あなたとは前世の縁だけど、三日しか一緒にいられない。それ以上いると禍が起こってしまう。しかし、たった三日では愛情を確かめ合うには短すぎ、もうすぐ別れなければならない。真心を伝えるには一体何を贈ればいいのだろう?」と独り言を言った。するとすぐには子を取り出して開け、金の枕を取り出し辛道度への贈り物とした。そして名残を惜しみ、涙を流し別れ、秦女は青衣の女性に辛道度を外へ送らせた。数歩も歩かずに、院は見えなくなりそこには墓があるのみであった。辛道度は慌てて墓から出て、懐に入れていた金の枕を見たが、それは何も変わりはなかった。

そのご、辛道度は秦国へと到った。辛道度は金の枕を売るために市へといった。そこで秦王の王妃は偶然やってきて、辛道度の金の枕を目にして近くへとやってきた。王妃は疑念を持ち、辛道度にその金の枕をどこで手に入れたのかを聞いた。辛道度は事情を全て王妃に話した。秦王妃がその話を聞くと、心を痛めたが、まだ半信半疑であった。そして、人を派遣して秦女の墓を調べさせ、棺を開けると当時の副葬品は全てあったが、金の枕だけ見つからなかった。

秦女の衣服をめくり体を調べると、夫婦の儀礼の跡があったので王妃は信じた。王妃は感嘆し、「私の娘は神仙であったか。死んでから二十三年経っているのに、まだ生きている人と話が出来とは。この人物こそ私の娘婿だ。」というと、辛道度を駙馬都尉(ふばとい)に任じ、黄金と絹、車馬などを下賜し、国へ返した。

これ以降、人々は娘婿を駙馬と称した。現在で言う帝王の娘婿も駙馬と称する。

  • 盧充が幽婚する

盧充は范陽の人であった。家の西、三十里の場所に崔少府の墓があった。盧充がニ十歳の時、冬になる前のある日、家の西で狩りをしていた。獲物を探していると、ジャコウジカが現れたので、弓を引き絞り矢を放つと、ジャコウジカに命中した。ジャコウジカは一度は倒れたが、その後立ち上がって走り出したので、盧充は追いかけたが、その時はすぐに捕まるだろうと思った。

忽然と北側に一里の場所に、二棟の大きな家が見えた。周囲を見ると、宦官の屋敷のようであった。この時、もうジャコウジカは見失っていた。その家の門の前にいた人物が盧充に大声で、「客人よ、おいでなさい。」と言った。盧充は、「ここはどなたの屋敷でしょうか。」と聞くと、門人は、「少府の屋敷です。」と答えた。盧充は、「私の服は破れて汚いです。どうして少府にお会いできましょうか。」と言った。この時、別の人物が、新しい服を持ってやって言った。「府君はあなたに新しい服を贈ります。」盧充は服を着替えると、少府に拝見し、自分の名前を言った。

酒を酌み交わしながら、少府は盧充に、「最近、あなたのお父上から手紙を受け取り、あなたに替わって娘に結婚するようにと言いました。それであなたに会ったのです。」というと、その手紙を取り出した。盧充の父親は盧充が幼い頃に死んでいたが、その筆跡は覚えていた。筆跡を見たところ、父親のものと同じであった。盧充は手紙を見て感嘆が止まらず、婚姻を受け入れた。そして、少府は召使に、「盧充がやってきたので新婦に化粧をさせなさい。」と言い、さらに盧充に、「東の廂(しょう)房で夕方までお休みください。」と言った。

夕方になると召使が、「新婦の化粧が済みました。」と言った。盧充が東の廂にいる間に、新婦は既に車を降り、席の前に立ち、両人は互いに拝した。古い習慣通り、三日間宴席が開かれ、三日が過ぎると崔少府は盧充に、「あなたは戻っても構いません。娘は既に妊娠しました。もし男の子が生まれるとあなたの家に送りますので心配なさらず。女の子が生まれると、娘が育てます。」と言った。その後、車馬が準備されたので盧充は別れを告げた。崔少府は、盧充を中門まで送り、手を握り、涙を流して別れた。大門を出た後、盧充は覆いがあり、青牛がひく車を見た。また、屋敷に来る前に着ていた服と弓矢が門の外にあった。さらに、一つ積の衣服を盧充に贈り、慰めて言った。「結婚したばかりで離別してしまうのは大変悲しいです。あなたに衣服と布団を贈ります。」

盧充は車に乗ったが、その車は雷電のように速く走り、すぐに家に着いた。家族が盧充を見ると悲しみが喜びに変わった。その後、話を聞くと、崔少府は既に死んでいることが分かったので、盧充はその墓まで行った。少府の屋敷での出来事が思い出されて、後悔し嘆息するのみであった。少府の墓を去って四年がたった三月三日、盧充は河原へ行き水浴びをしていると、忽然と河の中に二両の牛車があり、見え隠れしながら近づき、しばらくすると岸についた。付近の人たちはみな見た。盧充は近づいて後ろの扉を開くと、崔女と三歳位の男の子がいた。盧充が二人を見ると、非常に喜び彼女の手を取ろうとした。崔女は別の車を指さして、「府君があなたを見ています。」と言った。盧充は少府を見て、質問をしに行った。そのご、崔女は抱いていた子供を盧充に渡し、さらに金を一つ渡した。そして、詩を一首詠んだ。

姿は美しい霊芝のようで、顔つきは鮮やかで麗しく生気に溢れている。

おっとりしていて優雅さは全て見え、特別に異なり非凡で美しく神奇である。

蕾が膨らみ今にも花が咲きそうで麗しさこの上なく、盛夏霜雪でしぼんで衰える。

光彩の栄光は永遠に滅せず、世は永く施さない者はいない。

陰陽の運を悟らず、賢人は突然現れる。

会ったばかりで別れは早いが、それは神霊によるものだ。

何をあなたに送ればいいか、この金で息子を保養してください。

愛する人と別れは、腸を断ち肝脾を傷つける思いです。

盧充は息子に接し、金の碗と詩を贈られると、二両の牛車は無くなっていた。盧充は息子を大て岸に戻ると、周囲の人たちは鬼怪だと思い、遠くから子供に向かって唾を吐いたが、子供は何の変化もしなかった。子供に、「お前に父親は誰だ。」と聞くと、子供はまっすぐに盧充の懐へ飛び込んだ。多くの人々は奇怪な事件だと思い嫌悪したが、その詩を読んだあと、陰間陽世がつながったことに驚いた。

その後、盧充は車に乗って市へと行き、金を売ろうとすると意外な高値が付いたので、すぐには売らずまずは鑑定してもらおうと考えた。すると、偶然にも老下女が気づき、その金に見覚えがあったので、急いで戻り主人に、「市に車に乗った男がおり、崔家の娘の棺の中に入れた金を売っていました。」と報告した。女主人は崔女の伯母であった。彼女は自分の息子に様子を見に行かせると、果たして老下女の言う通りであった。息子は盧充の車に上がり、自分の名を言い、「以前、私の叔母が崔少府へと嫁ぎ、女の子を生みましたが、その女の子は嫁ぐ前に死んでしまいました。母は悲しみ惜しんで、その女の子に金を贈り、棺の中に入れました。崔少府も叔母もその後死んでしまいました。あなたが持っている金を手に入れた時の事情を教えて頂けませんか。」と言った。盧充は事情を話した。息子もそれを聞いて悲しみ、涙を流した。

叔母の息子は金を持って帰り、母親に言った。母親は盧充の家に使いを出し、盧充が連れている子供を連れて来させた。これにより親戚中が崔女の叔母の家に集まった。その子供は崔女に似ているが、また盧充にも似ていた。子供と金、どちらも証拠となり、女主人は、「私の甥は三月末に生まれた。私の父親は、「春が暖かい。吉事、即ち休が続くことを望む。」と言ったので、この子は温休と言う字にしよう。温休は幽婚で生まれた子であるが、その兆しは早くに顕れていたのだ。」と言った。

盧充の息子は成長して大器を為し、二千石の俸禄の郡守となった。その子孫も官となり、今に続いている。息子の後代は盧植、字を子干と言い、その名は天下に轟いた。

  • 西門亭の鬼魅

漢代の頃、汝南郡の汝陽県に西門亭があり、よく鬼が出た。そこに宿泊する旅人は、よく死亡していた。その中で特に被害がひどかった事件では、頭髪はむしり取られ、骨髄は吸い取られて干からびていた。この事件について聞くと、人々はこう説明した。

「ここにはもともと先に怪物が住んでいた。その後、郡府に属すようになった。宜禄県の人である鄭奇がここへやって来るとき、亭までまだ6、7里離れている路上で、端正な容貌の婦人が車に乗せてくれるように頼んだ。初めは鄭奇は難色を示したが、やがて彼女を車に乗せた。西門亭に到着すると、鄭奇は亭の中の楼閣へと行くと、亭卒は、「楼に登ることはできません。」と言った。鄭奇は、「私は恐れない。」と言い、その時、辺りは暗くなり、鄭奇は楼へと登って車に乗せた婦人と共に寝てしまった。次の日、まだ空が暗い時に、鄭奇は起きた。亭卒が楼に登り掃除をしていると、死んだ夫人を見たので驚いて亭長へと報告へ行った。亭長は官吏を集めて死んだ婦人の検死をすると、婦人は亭から西北に八里の所にある呉家の婦人であることが分かったが、死んだばかりであるとのことであった。夜に遺体を納めている時に急に灯りが消えた。再度火をともすと、婦人の遺体は無くなっていた、ということが分かった。その後、呉の家の人が婦人の遺体を引き取りに来た。鄭奇は出発して数里行くと腹痛を起こし、南頓県の利陽亭に到ると激痛となり死んでしまった。これ以降は誰も敢えて楼に登ろうとはしなかった。」

  • 鍾繇が女鬼を殺す

穎川(えいせん)郡の鍾繇は、字を元常と言い、かつて数か月参内しなかった。彼の神奇の気は普段とは異なっていた。ある人が鍾繇に何があったのかを聞いた。鍾繇は、「この数か月、常に一人の美女がやってきた。彼女は非常に美しかった。」と言った。すると、「その美女はきっと鬼に違いない、あなたは彼女を殺すことが出来る。」と、その人物は言った。美女が再びやってくると、すぐに鍾繇の元へと来ずに、門の外で待っていた。鍾繇は、「なぜ門の中へ入ってこない?」と聞くと、美女は、「あなたが私を殺すつもりだからです。」と答えた。鍾繇は、「私はそんなつもりは毛頭ない。」と言い、慇懃な声で彼女を呼ぶと、彼女はしぶしぶ家へと入ってきた。鍾繇は心の中では彼女を憎んでおり、絶えられなかった。そして、彼女に斬りつけ、太ももを斬ってしまった。美女はすぐに門を出て、新品の綿で傷をこすり、彼女の通った後には鮮血が滴っていた。次の日、鍾繇は人に彼女の血を辿って彼女を探させた。すると、大きな墓の棺の中に美女がおり、生きているようであった。白色の絹の衣を着て、背中には紅色の花の刺繍が施されていた。左の太ももには切り傷があり、肌着の中には血を拭った綿があった。

出典:古詩文網

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