九嬰:九つの頭部から火焔と水で攻撃をする不死身の蛇の妖怪

九嬰(きゅうえい jiu3ying1 ジウイン)

九嬰は古代中国神話中の蛇の猛獣です。《淮南子・本経訓》には、九嬰は水火の怪で、水を噴き火を吐き、叫び声は嬰児の鳴き声のようで、九つの頭が有ったので九嬰と称した、とあります。堯の時代に出現し人間に害をなしたため、中国神話の英雄である羿(げい)により北狄凶水の中で射殺されました。

九嬰が書籍上に見られるようになったのは漢代で、伝説中の水火怪は邪悪で残酷な人の例えとして用いられました。

  • 羿(げい)の九嬰退治伝説

《淮南子・本経訓》には、”堯(ぎょう)の時代、十個の太陽が同時に出た。穀物は焦げ草木は死に、民衆は食べるのもが無くなってしまった。猰貐(あつゆ)、鑿歯(さくし)、九嬰(きゅうえい)、大風(たいふう)、封豨(ほうき)、修蛇(しゅうだ)は皆民に害を成した。堯は羿をして鑿歯を畴華の野で誅し、九嬰を凶水の上で殺し、大風を青邱の沢で撃破し、上に射て十個の太陽を、下に射て猰貐を殺し、洞庭で修蛇を斬り、封豨を桑林で生け捕りにした。万民は皆喜び堯を天子とした。”とあります。

羿は后羿とも言い、弓の名手で中国神話中の大英雄です。堯の時代には妖怪達が暴れまわっていた恐ろしい世界でした。堯は名君として名高かったですが、さすがの堯も手におえず天帝に助力を願いました。そして遣わされたのが羿でした。羿は荒れ狂う怪物たちを片っ端から倒してしまい、世の中に平和をもたらしました。この時暴れまわっていた怪物に九嬰もいました。

北方に一条の大河がありました。深さは千丈で波浪は激しく人々は凶水と呼んでいました。凶水中には九頭の怪物がおり、名を九嬰と言いました。水を吹き出し、さらに火を噴くこともできました。天に十個の太陽が出た時、凶水は沸騰し、九嬰は熱い水中を嫌い岸に跳ね上がりました。人を見ると食べてしまったので、このため后羿の第三の目標となりました。

九嬰は天地が分かれたときに生まれました。その当時の天地の霊気は厚く実際の物質のようであったので、横暴な霊獣怪物がどれだけ生まれたのかわかりませんでした。この九つの命のある妖怪は深山大澤の中で陰陽の濃い気が交錯して変化して九頭蛇身となり生まれ、自分を九嬰と号しました。九嬰の各頭にはそれぞれ命が宿っています。天地が直接生み出したので、無魂無魄で身体は異常なほど強靭で不死身となり、頭が一つでも生きていれば死なず、天地の霊気を集めることで復活します。

伝説によるとこの恐ろしい怪物に后羿は勇敢に立ち向かいました。后羿が九嬰と対峙した時には、九つの口を大きく開けて、毒の火焔を吐き出しました。さらには、水も織り交ぜて凶悪な水と火の網を作り出しました。この攻撃にはさすがの羿もたじろぎましたが、素早く弓を取り出して冷静に矢をつがえ、頭の一つに狙いを定めました。放たれた矢は頭の一つに命中しましたが、頭の一つを射ても死なずしかも瞬く間に治癒していきました。

后羿は九嬰が九つの命を持っていることを知っていましたので、この異様な様子にも慌てず、連環箭法を使い九つの矢を同時に放ちました。九つの矢は吸い込まれるようにそれぞれの頭部へと飛んでいき、九つとも命中しました。この同時に頭部を破壊するという離れ業により、九嬰は遂に力尽きました。

出典:baidu

今回は九嬰のお話です。九つの頭を持つ妖怪や神獣は相柳など中国神話中ではよく出てきており、九と言う数字自体に特別な意味があったことを伺わせます。日本神話ではヤマタノオロチが有名ですが、九嬰はこのヤマタノオロチに似ています。ギリシャ神話ではヘラクレスによって倒された九つの頭を持つヒュドラとも共通点が多いです。

世界の多くの神話で見られる怪物の典型みたいな妖怪ですが、火と水を同時に攻撃に使用できる点が他と大きく異なります。普通に考えると、水神共工と火神祝融との戦いのように火と水は互いに相反する存在ですが、九嬰はそのどちらも同時に使用できる点に興味を覚えました。

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