雲南省騰衝固東鎮の栄陽村は100戸余りの民家がある小さな古い村落です。この村では300年以上前から油紙で傘を作っています。鄭映海さんは傘を作り続けて10代目になります。
この小さな村では古くから油紙で傘を作ってきた歴史があります。油紙の傘は美しく、人気があります。鄭映海さんは保山市の無形文化遺産の伝承者です。彼は8歳から家業の傘づくりの手伝いを始めました。現在も同じ製法を頑なに守り続けています。
石灰岩の床の上で、89歳の鄭さんは筆をもって傘に花や山などを描いています。
油紙傘を作るには、骨組みを削りだし、骨組みを糸でつなぎ、紙を貼り、柿水を塗り、絵を描き、柄を装飾し、桐油を塗り、先端に釘で布を留めるなど多くの工程があります。この工程を鄭さんは80年以上繰り返しています。
鄭さんは工具を壁に整理しています。傘には長い骨組みと短い骨組みがありますが、まずは竹を割って一本一本骨組みを作っていきます。
骨組みを作っている最中です。鄭さんは、傘に使った竹を全て集めて組み立てると元の竹に戻ります、と言います。
以前は生活のための傘を作っていましたが、今はもう習慣です、と語ります。骨組みに糸を通すための穴を正確にあけています。
ひと穴ずつ正確に開けています。
骨組みが完成すると油紙を貼り、絵を描いていきます。絵を描いた後は油を塗り、天日で乾燥させます。この工程を鄭さん一人で行います。
花や山、蓮や梅、木の枝など、長年の経験で傘の表面に独自の図案を描いていきます。
傘は作製の途中で、太陽の光にさらす必要があります。栄陽村のある地方では、”紙”と”子”は同じ発音です。古い習慣では、女性が嫁ぐときに、必ず油紙傘を持たせたと言います。早く子供を授かるようにという暗喩です。
鄭さんの奥さんは、太陽が照っているとき、未完成の傘を乾かすために、手に持って手伝っています。現在村で傘を作ることができるのは4人の老人のみになりました。
家の前の通りで傘を作る場合もあります。
近年では油紙傘は主に機械で生産されています。大量生産により手作りよりも低価格で品質もよく、色も鮮やかな製品ができるため、工芸品市場を独占しています。しかし、鄭さんはそれでも可能な限りずっと傘を続けると言います。
家の屋根にはトウモロコシが干されています。鄭さんには三人のお子さんがいらっしゃいます。三人とも傘を作れますが、現在は農業が主な仕事になっています。
経済の発展にともなって、油紙傘は身の回りから姿を消しつつあります。しかし、その芸術的な価値は多くの人が認めています。鄭さんはタンスから固東鎮から発行された文化顧問の証書を大切そうに取り出し見せてくれました。
鄭さんはもうすぐ90歳ですが、その情熱は衰えることを知らず、この伝統を失わせないように子供たちにも作り方を教えています。鄭さんは一人でも多くの若者がこの傘のすばらしさに気づいて受け入れてくれることを夢見ています。
出典:news.qq.com
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