呉回(ごかい wu2hui2 ウーフイ)
呉回は古代中国伝説中の火神です。古代の呉人の中に半神半人がおり、その神は顓頊高陽氏の曾孫で、老童の子です。高辛氏、即ち帝嚳の時代に呉の地方へと移り呉回と称しました。その後、民間で火神としての信仰を集め、邪を払い災いを避け服を祈願する対象となりました。
中国神話中では呉回の兄の重黎が高辛氏の火官となりこの官職は祝融と呼ばれたといいます。しかし力量が足らずに帝嚳により更迭され、呉回は重黎の代りに帝嚳の火官となり祝融に就任しました。祝融の責務は天空の火星火宿を観測するほか、夜の照明を司り暖をもたらし調理を行う火を管理することで古代では神聖な職務でした。
呉回が祝融に任じられたことは遠方にも轟き、その死後には祝融神として尊ばれ、古書物では祝融は三皇の一柱にも数えられています。また、祝融は火神と言う性格も相まって、五行説中では南方の神となっています。
《周礼》には、黄帝の孫の顓頊に黎と言う子がおり、祝融となり火神として祀られた、とあります。祝融は楚人の祖先であるとされています。
《山海経・大荒西経》には、”顓頊が老童を産み、老童が祝融を産んだ。祝融は太子長琴を産んだ。”とあります。さらに大荒西経には、”顓頊は老童を生み、老童は重と黎を生んだ。帝顓頊は重に命じて天を手で上に持ち上げるように命じ、黎には地を押して下に下げるように命じた。それで黎は地下へ来て噎を生んだ。噎は大地の最西端におり、太陽と月と星々の運行順序を管理していた。”とあります。
山海経大荒西経に関しては以下をご覧ください!
顓頊に関しては以下をご覧ください!
出典:baidu