【フライングダッチマン】沈没したはずなのに・・・世界中の有名な幽霊船たち

船乗りもそれ以外の人々もみんな昔から幽霊船に恐れと同時に魅了されてきました。難破船や海賊船などの成れの果てのこの不気味な乗り物は、1845年に北極諸島で行方不明になったHMSエレボス号のように生存者が一人もいないような悲劇的な船もあります。メアリー・セレスト号などは、航海可能な船の状態にもかかわらず、発見された当時は乗員が一人もいなかったというミステリアスな船まであります。今回は、歴史上の中で特に有名で恐ろしい幽霊船をご紹介します。

1, エル・カルーチェ El Caleuche
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エル・カルーチェはチリの海岸沖に出現すると言われている幽霊船で、”エル・カルーチェはいつも夜に出航し、霧の中から光を放ちながら突然現れる”と、アン・ビンガムが著書、South and Meso-American Mythology A to Zで述べています。この船は、海を守り、海や海に生きる生命に害をなすものを罰するといいます。

この幽霊船の乗組員は、魔女達に導かれた難破船などの死者のみだといわれています。魔女は船を離れて、カバロマリーノよ呼ばれる海馬に乗っています。魔女や船員達は邪悪な存在というわけでもなく陽気であり、ある穏やかな夜に、幽霊船から大音量の音楽と笑い声が聞こえてきた、といいます。

2, HMSエレバス号とHMSテラー号 HMS Erebus and Terror

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1845年5月19日に、HMSエレバス号とHMSテラー号の二隻の船がイギリスを出港し、北極諸島へ向かいました。これらの船の目的は、太平洋と大西洋をつなぐ北西航路の調査にありました。

ジョンフランクリン提督に導かれ、行く先々で情報収集及び学術調査を行いながら進みましたが、遠征に参加した134人の調査員と乗組員は誰一人として戻りませんでした。海難史上でも大規模な事故です。

後の捜索の祭に発見されたメッセージには、船が北極諸島のキングウィリアムス島で氷に挟まり身動きが取れなくなり、フランクリン提督が1847年6月11日に亡くなり、1848年4月22日に船は放棄されました。当初の生存者達は、氷の上を歩いて、カナダのメーンランドへと到着しました。

その後、エレバス号とテラー号は発見されず、幽霊船として語られるようになりました。

2014年にカナダの考古学者がビクトリア海峡の海底でHMSエレバス号を発見したました。上の写真が海底に眠るエレバス号です。

3, コペンハーゲン København

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1928年12月14日、デンマークのイーストアジアティックカンパニーの所有する船が、ウルグアイとアルゼンチンの間にあるリオデラプラトをオーストラリアに向けて出航しました。この船はマストが五本ある船として有名でした。

この船は予備のエンジンと、無線、そして数多くの救命ボートを搭載しており、非常に良く考えて作られた船でした。乗組員は60人で、多くがデンマークの良家の子弟でした。

この船は12月21日に無線を使ってノルウェーの蒸気船、ウィリアム・ブルーマーと連絡を取ったのを最後に連絡が途絶えました。

このコペンハーゲンの遭難で、多くの推理、推論が出されました。最も現実的な推測は、霧や暗闇のなかで氷山に衝突して沈没したのではないかということですが、1930年に5本のマストの幽霊船が目撃されたという報告もあります。こうして、幽霊船として語られるようになりましたが、2012年にコペンハーゲンと思われる船がトリスタンダクーニャの島で難破しているのが発見されました。4, HMSエウリュディケ HMS Eurydice

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1878年に英国海軍の練習船、HMSエウリュディケが航海中にワイト島近海で消息を絶ちました。報道によると、その日は穏やかな天候だったにもかかわらず、突然の吹雪で船は沈み、364名の乗員が死亡しました。余りに突然発生した吹雪のため、乗員は対応できなかったといいます。

エウリュディケ号は吹雪の最中、帆を全開に張り、砲門も開け続けていた、とBBCのウェブサイトでVictoria Bartlett氏は指摘しています。最終的に生存者は2人だけで、船は一度浮かび上がってきましたが、ダメージがひどすぎてスクラップになってしまいました。

それ以降、HMSエウリュディケが難破した海域をあてどなく彷徨い続ける幽霊船として語られるようになりました。当時乗船していたエウリュディケ乗員、乗客もワイス島沖でこの幽霊船と共に目撃されたといいます。1930年代にイギリスの潜水艦がこの幽霊船に出くわしたと報告しており、さらにはイギリスのプリンス・エドワードが1998年にテレビのドキュメンタリー番組の最中に見たとも言われています。5, メアリー・セレスト Mary Celeste

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1872年12月4日、イギリスの二本マストのブリガンティーン船がデイ・グラチア号の船員によりポルトガル沖のアゾレス諸島近海で発見されました。この船は以前より行方不明となっていたメアリー・セレスト号で、船は放棄された状態でした。

10名の乗員がメアリー・セレスト号に乗船して、出航しましたが、その後誰一人として戻りませんでした。救命ボートはなくなっていましたが、船の航海日誌にはメアリー・セレスト号が放棄された理由は書かれていませんでした。デイ・グラチア号の船員の調査では、この船の床には水が溜まっていることがわかりました。積荷の1700バレルの工業用アルコールは残っていましたが、一部は漏れ出していました。

船体のダメージはわずかで、洪水の影響も問題にはならないほどでした。デイ・グラチア号の船員達は、溜まっていた水を取り除き、メアリー・セレスト号をジブラルタルへと送りました。そこで、専門家の調査が行われましたが、決定的な原因は明らかにはなりませんでした。現代までも、メアリー・セレスト号に関しては謎のままです。

一つの推論として、数バレルのアルコールがこぼれ出していましたが、このアルコールが爆発することを恐れた船員達を、船長のベンジャミン・ブリッグスが船から退避させた可能性があります。もしくは、浸水をブリッグス船長が実際のダメージよりも深刻に受け止めたため、船を放棄したなども考えられています。

その他には海の怪物に襲われた、暴動が起った、海賊に襲われたなどの強引な解釈もあります。

6, Flying Dutchman

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最も有名な幽霊船は、恐らくフライング・ダッチマンでしょう。フライング・ダッチマンは南アフリカの喜望峰付近を彷徨っているといわれています。

フライング・ダッチマンのダッチ、即ちオランダとは、船ではなく、オランダ人船長のヘンドリック・ファン・デル・デッケンのことを指しています。ヘンドリック・ファン・デル・デッケン船長は17世紀のオランダ生まれで、オランダの東インド会社で働いていました。

フライング・ダッチマンの話にはいくつかのバリエーションがありますが、最も有名な話は、船長のヘンドリック・ファン・デル・デッケンが喜望峰付近で嵐に会い、神の所業に悪態をついたために神の怒りに触れました。怒った神と精霊達は船長に向けて様々な物を投げつけましたが、それにも関わらず船長は目的地のケープタウンのテーブル湾に強引に入ろうとしたところ、ついには船に岩が当たり、乗員もろとも沈没してしまいました。

罰として、船長と亡霊となった船員達は神の許しを得るその日まで、永遠に海の上を彷徨うこととなりました。彼らは港によることが出来ずに、海から海へと彷徨い続けるのです。

出典:livescience.com

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